旅の途中

オタクライフ備忘録!

十五祭、セトリの話

接待じゃん。と思った。
…という言い方はなんだか印象良くない気もするけれど、本当にそんな感覚だった。

色んなことがあった。
色んなことがあって、今までのようにただ関ジャニ∞かっこいいーかわいいーって気持ちだけで、彼らを見ていることができなくなってしまったファンは多いと思う。私もそうだった。

彼らの決断に文句を言うつもりはないし、背中を押したいっていつでも思ってる。でもやっぱりどこかで、今を直視するのが怖くて過去に逃げてしまったり、反対に、過去の輝きを見るのが怖くて関ジャニ∞そのものから距離を置こうとしてしまったり。あれから1年、少なからずそんなことがあった。
応援はしたいんだけど、直視するのが怖い。だから、ちょっとよそ見したり、薄目開けてみたりしながらついていく。そんな気持ち。

でも、あのセトリに、一瞬で引きずり戻されてしまった。
よそ見してた私の頭を掴んで、オラ、どこ見てんだお前!って、真っ向から見つめて、目の前で歌われているような感覚。
よそ見なんてできなかった。
息をするのも忘れていた。
彼らに抱いた少しの不安なんて、いつの間にか忘れていた。

自分が古参だと言うつもりは全く無いけど、あのコンサートは、あのセトリは、他でもない、関ジャニ∞の歴史を見てきた人に向けたメッセージだったと思った。

何回か言ってるけど、大抵のコンテンツって、ファンじゃなくてファン未満の人のために作られていると思う。
既にお金を落としてる人に落とさせるより、まだお金を落としてない人に落とさせるほうが遥かに難しいし、長い目で見て遥かに利益になるから。
コンサートもそう。
いつもファンの先を行く彼らが見つめるべきものは過去じゃなくて、未来にある。

過去にしがみついてるのはファンだけ。
アイドルは、まっすぐ前を見て進んでいく。
そして、未来を見せてくれる。
それが当然だし、そうあるべきだと思う。

でも、あの日の彼らは、過去を見ていた。
忘れたい過去を、忘れていた過去を、ひとつひとつ振り返るように。
見つめるべき未来じゃなく、ただ、踏みしめてきた過去を見せてくれた。

それも、15年の歴史を象徴する曲じゃなくて、15年の歴史にひっそりと埋もれてしまったような曲たちで。

15周年になるこのタイミングで、彼らを大きく揺るがす一大事があったこのタイミングで、関ジャニ∞が見せてくれた景色。
それは、世間が認め始めたバンドでなくて、ファンが焦がれるダンスで、魅せてくれたことだったり。
それは、誰もがほとんど諦めていた曲を、引き出しの底の底からひっぱり出してやってくれたことだったり。

どれもこれも、関ジャニ∞の過去を一緒に見てきた人への、
「お前らのこと、ちゃんと見てるで」ってメッセージに感じられてならなかった。

紡いだ歴史の一部に、私達がいること。
私達が彼らの歴史を忘れていないように、関ジャニ∞も忘れていないこと。
そんな当たり前のことを噛み締めさせてくれる時間だった。

毎回こんな接待みたいなセトリをやれとは言わない、やらなくて構わない。
ファンがしがみつきがちな後ろでなく、前を見てほしい。そして、未来を見せてほしい。

でも、このタイミングで、彼らの歴史を少しでも見てきた人たちが、一斉に振り返らざるを得ないようなセトリをやってくれたこと。

それは、関ジャニ∞からファンへの、深い愛だと感じたわけです。


はい、そんなわけで、十五祭、たのしかったーーー!!!です!!!
関ジャニ∞は最高!!!!

関ジャニ∞、死ぬまでこの10曲しか聴けないとしたらどれ!?曲グランプリ

お久しぶりでございます!仕事が慌ただしくろくにジャニオタする暇もないまま、3月になってしまいましたが、なんとか生きております。

さてさて、2017年最初の投稿です。何やらめんどくさいタイトルをつけましたが、今回の記事、簡潔に言えば私が好きな曲についてタラタラ語りますよ~というだけの内容でございます。例のごとく物凄い長文ですが、暇で暇で発狂しそうな方はぜひ読んでいってください!!!

 

関ジャニ∞、死ぬまでこの10曲しか聴けないとしたらどれ!?グランプリ

 

~ルール説明~

・『好きな曲10選』ではない。『この曲を残して他の曲が消滅するとしたら、どの曲を残す?10選』である。

・DVDや録画などで残る、映像メディアは一切関係ないものとする。尚、あくまで、”音源”のみを考慮するため、未音源化楽曲は対象外とする。

 

はっじまっるよ~~~!!!

 

1.へそ曲がり

関ジャニ∞で一番好きな曲は?」って聞かれたとき、咄嗟に答えるのがこの曲。いや、本当は優柔不断なのでとても決められないのですが、たぶんいくら冷静に考えてもやっぱり最終的に頭に浮かぶのがへそ曲がりなんじゃないかな、と思うんですよね。

何と言っても、関ジャニ∞の魅力っていうのがギュッと凝縮されてるところが、私がこの曲を好きな理由の一番大きな理由。

そりゃ関ジャニ∞の魅力なんて、挙げきれないくらいにあります。けれど、やっぱりいちばん大きいのは、「かっこ悪いのにかっこいい」ところ。私は彼らの、アイドルでありながらアイドルから遠ざかろうとする姿勢と、でも確かにそこに生まれるかっこよさにゾッコンなんだと思います。

かっこつけてなんぼのアイドルでありながら、どこかダサくて情けなくて、かっこつかない。キラキラ輝くアイドルのステージでめいっぱいふざけてみたり、黄色い歓声の中で全力の変顔してみたり。

周りを進む同業者たちを乗せた船を尻目に、真反対の方向へめいっぱい舵を取りながら、わしらはこっちじゃ!って、嵐に突入していくみたいな。そういう、へそ曲がりな彼らの姿勢に、彼らしか持ち得ないかっこよさの本質があると思うわけです。

だから彼らの歌うこの曲は胸を打つのです。

 

へそ曲がり根性たたえて君に歌っている

与えられた成功なんていらんと強がり

夢ばかり天井叩いて地面を這ってゆく

その腹に汚れなき欲望をしのばせて

 

すこぶるかっこいいこの曲ですが、決して、難しいことは言っていません。確かに言葉選びは独特ですが言っているのはありふれた応援歌と同じこと。だから『へえ~、たしかにそうかもな~』って、流しちゃいそうな言葉たちなんですが、関ジャニ∞が歌うと、そこに生まれる、物凄い説得力。

アイドルはアーティストではありません。細かく言えば例外はあるにせよ、その身一つで“音楽”を売り込んでいくのがアーティストだとすれば、あくまで彼らは音楽を“使って”歌う“人”そのものを売り込んでいくお仕事。彼らが使う音楽とは、あくまで道具であり、手段です。だから、曲よりも目が行くべきは歌っている人にあります。

でも、どんなアイドルにも、その人が歌うことで説得力が伴う一定のジャンルがある気がします。そういう曲に関しては、ミュージシャンが歌い上げる曲にも並ぶくらいの、ズッシリとした重みがあるように感じられるのです。アイドルの持つ何かと、楽曲が、ガッチリ手を取り合ったような。

だから言うなれば、この曲は、関ジャニ∞の得意分野ど真ん中にあるような気がするのです。

 

恥晒す生き方 どうしようもなく美しい

振りかざす常識より 自分流で行っちまえよ

 

表面的に見れば綺麗事を並べているようですが、関ジャニ∞に言われると、うんうん、常識から逸脱しきった彼らの生き方、そこに確かに美しさがあるもんなあ。って、思わず納得させられちゃう。

こういう、無敵の説得力が伴う曲が私はメチャメチャ好きです。次の曲もそうですが。

 

 

2.勝手に仕上がれ

10曲どころか、一生1曲しか聴けないとしたらどの曲?って聴かれたとして悩むのが、多分先述したへそ曲がりと、この曲。

今でも忘れません、深夜のレコメンでこの曲が初解禁になった日。あまりのかっこよさに私は一人で震え上がり、ボロボロ涙しました。その日は震えて泣きながら寝ました。えっ、だって、かっこよすぎるやん……

コンサートの模様を描写した曲で間違いないと思うのですが、後ろのみんなもよく見えてるぜ?って言いながら、ちょっと言いすぎたわってちょけてみたり、熱視線も熱すぎるぜ!って煽りながら、そんなに見られたら恥ずかしいって照れてみたり。まさかアイドルのコンサートの光景と思わないよね。どちらかと言えばキャパの狭いライブハウスで、歌手も観客も叫んで飛び跳ねて汗まみれになってるライブ。ステージに立つのはキャーキャー言われたいしかっこつけたいけどどこかでかっこつけてる自分を照れくさいって思ってる、素直になれないひねくれ者の男たち。

そういうちょっと垢抜けなくて泥臭い世界観がとても似合うと思います、彼らには。

それをわかった上でオカモトズのみなさんが関ジャニ∞にこの曲を提供したのか、はたまた彼らが彼らの力でこの曲を自分のものにしたのかはわかりませんが、これこそまさに今の彼らのためのアイドルソング。

こういう、ただかっこいいだけじゃない、ひねくれたかっこよさの楽曲を、生演奏のインスト曲と一緒にアルバムの1曲目にぶち込んでくるのだから、関ジャニ∞はやめられませんね。

ちなみに余談ですが、私はコンサートでこの曲を聴いて、初めて、彼らの奏でる音を聴けるのなら、さっきまで構えていた双眼鏡を投げ捨ててもいいと思いました。目を閉じてしまおうかとも思いました。というか現に目を閉じました。「見たい」に、「聴きたい」が勝ったのです。アイドルのコンサートで。凄くないですか、これ。

オカモトズさんを始め、サンボマスターさんといった日本のロックを牽引する人達と交流するようになって、彼らのバンド演奏には、ただのアイドルのパフォーマンスには絶対にない説得力が生まれた気がします。

関ジャムでセッションをする彼らや、コンサート中の彼らには、アーティストと、アイドルとの境界にある高くて分厚い壁をぶち壊そうとしているみたいな、がむしゃらな必死さを感じます。メチャクチャかっこいい。

アイドルという、ある意味で純粋な音楽と対局にある枠の中で、ひたむきに音楽に向き合う。それって実は凄く難しいことだと思います。彼らの魅力をそんなところにも発見できた一曲でした。

 

 

3.ロイヤルミルクストーリー

もう、ギュッ!て抱きしめたくなる、関ジャニ∞史上最強に愛おしいラブソング。

見つめ合ってティースプーンを回す恋人同士の物語。そこに描かれるのは、歌にするにはあまりにも平凡な日常。ティーカップと、スプーン2本と、テーブルと。この世界にあるのは、それだけです。なんて小さな世界でしょう。

 でも、幸せの絶頂にある恋人同士ってきっと、それだけあれば笑っていられるんです。豪華なディナーも、甘い愛の言葉も、サプライズもいらないんです。おそろいのマグカップと、おそろいのティースプーン。この曲は、そんな拍子抜けするくらい平和な日常をとびきりおしゃれな言葉選びで切り取って歌にします。

 

アッサムにミルクを注いだ雲が流れて微かにシナモンの風香り

ティースプーンを回すふたりが似てくるのはどうして?

優しさを通して混ざり合っていくから

明日も笑っていくから

 

寝ぼけ眼でティースプーンを回す恋人を眺めながら、「あれ、俺たちちょっと似てきたかなあ」だなんて、どうでもいいことを考える。

 

なんて穏やかで優しい世界でしょう。とても関ジャニ∞の歌とは思えないですね。

 

でも、この曲の魅力はただおしゃれで優しいというところだけではないと、私は思います。

2番の冒頭に、こんな印象的なフレーズが登場します。

 

僕らは抱き合うよ適温で

喜び悲しみ触った手で

 

まず目を引くのは、”悲しみ”という、この平和な世界に似合わない言葉。よく考えると、”喜び悲しみ触った手”って、ちっとも”適温”じゃない気がする。

そしてその後同じく”適温”とは思えない、必死で、切実で、叫びのようなすばるくんの声で突如突き立てられる、この曲の要とも言えるフレーズ。

 

今できる楽しいことをしようよ それを恋と呼ぼうよ

人生を一緒に味わおう

 

私はこのふたつの”適温”でない要素があるからこそ、この曲が描く恋は、こんなにも愛おしく、そしてリアルなのだと思います。

今、二人が抱き合うその手は、喜びも、そして悲しみも触った手なのです。

二人にはそれぞれの、お互いの知らない過去があります。嬉しかったことも、悲しかったことも。お高く止まる彼女と、飾らない僕。正反対の二人ですから、育ちや個性を否定して傷つけあったこともありました。そんな数々のドラマを乗り越えた先に今があって、この瞬間お互いが同じ恋をして、ティースプーンを回しながら見つめ合っているのです。

今の何気ない日常があるのは、二人が喜びも悲しみも乗り越えてきたから。そしてきっとこれからもそんなふうにして二人の物語は続いていきます。君が僕の物語を作って、僕が君の物語を作っていくのです。それを含めて、人生を一緒に味わうというのです。

すばるくんがこんなにも熱を込めてこのフレーズを歌い上げるのは、そういう背景みたいなものを汲み取ってるんじゃないかなあと思うわけです。まさに”適温”って言葉がぴったりな歌詞ですけど、たったこの2つのフレーズと歌声で、二人の間にその適温があることの凄さまで考えさせられる。

よく人生は自分の選択で成り立っているなんて言いますが、恋もそうです。今のふたりが同じ恋をして見つめ合っているのは、お互いにこの瞬間、この恋をすることを選んでいるから。それってもう、ちょっとした奇跡ですよね。恋って凄いなあ。

背伸びしない等身大のラブソングですが、この物語に登場する二人の間には、はるばる培ってきた確かな熱情があります。その過去や、乗り越えてきた数々のすれ違いがあって、初めて、”適温”の今がくっきりと輪郭を帯びる。だからただ恋人同士がティースプーンを回すだけのこの曲は、こんなにも胸を打つのです。

 

こんなに恋がしたくなる曲はなかなかありません。恋がしたくなるラブソングって、いいなあ~~~!!!コンサートまだですかね!!!

 

 

4.七色パラメータ

歌ってる"人"でなく、"曲"だけを考慮して考えた時、1番好きな曲と言っても過言ではない気がします。

なんといってもこの曲の魅力は、締め付けられるくらいに切ない歌詞。

ひとえに別れの曲といっても、色々な種類があります。振られた側が歌う別れもあり、反対に終わらせる恋の歌もあり。未練をタラタラ綴る歌や、前を向き始める歌………

そして私がこの曲から想像できるのは、「諦めた恋の歌」。この、「諦め」っていう要素が、この曲に関しては最初から最後までずっと漂っている気がするんです。

まだ、好きなんです。お互いがお互いのことを。でも、もう駄目だって分かってるんです。この歌が描くのは、お互いがお互いのために、終わらせる恋なんです。

 

きっといつの日かまた出会えるから

 

そんな前向きとも取れる言葉でこの曲は幕を開けます。いつの日かまた出会えるから、いつの日かまた出会うために、曲中、何度も確認するようにこのフレーズが登場しますが、私は彼らが再び会う日は、もう来ないのではないかと思ってしまいます。

どちらかと言うと、まだ自分を好きでいる恋人に、そしてまだ相手のことを愛してしまっている自分自身に、言い聞かせて、無理矢理納得させている気がするのです。

夢のために故郷を離れることになって、関係を続けていけなくなったのかもしれない。夢を追いながら片手間に愛するなんてできないくらいに、愛してしまったのかもしれない。

真意はわかりませんが、そうやって自分の気持ちに無理矢理けじめをつけて、歩き出す歌に思えるのです。

 

今の僕を愛してると言ってくれた

君のためにこのままじゃいれなくなった

 

だなんて、なんて優しくて残酷な言葉。

本当に愛した人でなければ、こんなことは言えません。彼女が愛してると言った今の僕じゃ駄目なんです。それが、彼には分かってしまうんです。

めちゃめちゃ賢いんですよ。多分、この歌に出て来るふたりは。

 

それを愛としたり顔で呼んでみたら

嘘のつけない僕達は泣きたくなった

 

ね、悲しいかな賢い二人には、自分たちの気持ちが本当の愛でないことも、この先に二人でいる未来がないことも、分かってしまうのです。

だから、お互いのために、きっといつの日かまた会えるからって言い聞かせ合って、笑ってさよならを言うのです。そんな日が来ないことなんて、お互いに分かりきっているのに。

 

世の中には多分、別れを告げられた側の失恋ソングのほうが多いと思います。しかしこの曲は多分、あくまで私が思うにですが、別れを告げた側の人の歌。

まだ自分のことを好きでいる相手に別れを告げるのって、好きな人にこっぴどく振られるよりもきっとずっと辛い。そしてそれを、同じくまだ自分が愛してしまっている相手が受け入れて、夢のために歩き出す自分の背中を押してくれるのも、物凄く辛い。

でも、あるんでしょうね。恋人同士が、ああもう、僕たちは駄目なんだなって気付いてしまう瞬間が。そしてそれはきっと、傍から見ても決して分からない決定的な何かなのです。切ないなあ。

 

そしてこの曲においては特筆すべき事項がもう1つ。パート分けです。

何度か言っている気もしますが、私は横山くんの歌声がメチャメチャ好きです。そしてこの曲に関しては、横山くんの甘くて切ない歌声が、これでもかってくらいいい方向に作用していると思うのです。

横山くんの歌声って、(よくも悪くも取れるのでしょうが)ちょっぴり頼りなくて、触ったら壊れてしまいそうな脆さがあって。その声が紡ぐ「いつの日かまた出会えるから」という言葉の切なさよ………横山くんの声は、まさにこの曲の世界観そのものだと思うのです。

あと、クジラとペンギンとか、パンぱんだとかも似合いますよね。(主観)

あと、この曲を歌うすばるくんのパート、気にしたことがない人は是非今一度聴いてみてください。なんて、なんて声で歌うんだ天下の渋谷すばる様が………!!!って気持ちになります。

 

というわけで、いつか恋を諦めて夜行バスに乗る日が来たら、窓際でこの曲を口ずさみながらそっと泣こうと思って選びました。多分未来永劫そんな日来ないけど。

そして、コンサートまだですかね。

 

5.This moment

アイドルといったら色気でしょう。お色気ソング担当枠です。

フロマルやCan’t U see?といった並み居る強敵を蹴落としてこの曲が選抜されました。

関ジャニ∞史上1番夜が似合うラブソングです(当社比)。

正直もうメンバーの甘くてセクシーな歌声と曲の雰囲気に酔いしれるだけで最高なのですが(特にコンサート終わりの帰りの電車に揺られながら今しがた自担との秘密のデートを終えてきた気持ちになりつつ、吊革につかまりながらなんかがオススメ)、その魅力は歌詞にも大あり!

きちんと聴いてみると、この曲の歌詞って、そのアダルティーな曲調とは裏腹に、物凄く切実で、どこか幼さすら感じるものなんですよね。

 

抱きしめても何か足りない その訳ならわかってる

ボクの知らないキミがいるから この想いは止まらない

 

冒頭からいきなり一体何があったの感満載の歌詞。単純な脳なので多くは想像できませんが、浮気か不倫か、はたまた別の何かなのか、そういった所謂”許されない恋”をしているのでしょう。とりあえず、好きになってはいけない相手を好きになってしまって、タブーを犯していることを自覚しているけど、それでも止められない自分の恋心を歌った曲であるということはおそらく誰にでも推測できます。

なんですけど、この主人公、タブーを犯すにはあまりにも優しすぎる気がするんです。

 

夜が明けたらいつものように優しい嘘を並べて

越えられない現実にまた君を送り返すから

 

送り返すんです。禁断の恋に溺れている主人公なんですから、僕のものになってくれれば、と現状を嘆いてもいいものを。なんなら、そのまま奪い去っても良いものを。

 

思い出なんていらない

ただキミに見せたこの愛は

すべて奪うこと躊躇った

だけどまだ恋いしくて、恋いしくて

 

躊躇っちゃうんです。それでも好きなんです。

極めつけは、この曲一番の聴かせどころ。丸山くんのとびっきり甘ったるい声で始まるフレーズです。

 

退屈な日々だからキミに惹かれたわけじゃない

このココロは壊せない

ボクにはできない

 

禁断の恋とか、タブーとか、そういうのってある程度「それをしてる自分に酔ってる」部分があるんじゃないかなって気がします。少なくともフィクションの世界では。

でも、彼の場合違うんです。退屈な日々だからキミに惹かれたわけじゃない。こんなに悲しいことがあるでしょうか。たまたま心の底から好きになった人が、好きになってはいけない人だっただけなのです。そんな相手やめとけばいいのに!なんてとても言えません。メチャメチャ可哀想。

ともあれ、彼らの身に一体何があったのかは我々にはわかりませんが、この歌は、キミを全部奪い去ってやる!っていう歌でも、どうして僕らはこんな運命に!って嘆く歌でもないんです。

薄暗い部屋で吐息で語って。色気のあるメロディーと言葉たちで、雰囲気たっぷりに描かれる許されない恋に溺れる二人の世界。でも頭のなかでは、ただこの瞬間だけ、キミを愛させてくれないかなあ。って、やがて恋が終わる瞬間のことを、君を送り返す明日のことを、まっすぐ見つめながら考えてる。まさに、現実逃避の歌。

悪役になりきれないその幼さが彼らの歌らしくてどこか愛しい。だから鼻につかなくて感情移入しやすいんでしょうね。

そんなところも含めて大好きな曲です。コンサートまだですかね。

 

6.LIFE~目の前の向こうへ~

めっっっっちゃミーハーな選曲ですが、だって、もう、語るまでもなく、めっちゃいい曲じゃないですか???

ひねくれアイドルが歌う、正統派アイドルソング。隙がなくて、洗練されていて、誰が何と言おうといい曲。それをバンド演奏で見せるところも良い。

この曲の魅力を褪せさせてるものがあるとすれば、それは他でもない「飽き」。

どんなに好きなものでも、好きでい続ければある程度飽きてしまうのは仕方ない。そんで一度そうなってしまうと、このこびりついた手垢っていうものを取っ払って何かを評価するのは本当に難しくなってしまうのです。これは、アイドルに限らずですが。

そしてきっと、その手垢のついた何かは、失ったときに初めて再評価されるんだと思うんです。

だからもしも10曲しか聴けないとなった時、きっと私はこの曲が恋しくなる。そんな気がするから挙げました。

またかよ~って言われても、いつまでも歌い続けてほしい曲です。そしてファンとしても、いつまでもその輝きを見失わないようにしていきたいものです。

 

7.君の歌をうたう

とびっきり可愛いライブ演出が印象深いクリスマスソングですが、今回はその楽曲に限って話をしてみようと思います。

クリスマスに恋人に贈ろうと思ってた歌を、別れてしまった今、たった一人で歌うってシチュエーション。この状況って、ひょっとしなくても物凄く切ない。いくらでもドラマにできそう。なんですけど、この曲からそういう悲劇が全然伝わってこないのは、フラれた男が歌うとは思えないどこかおどけたメロディと、歌っているひとたちのせい。そう、これ、関ジャニ∞の曲なんですわ。

 

クリスマス前に別れて ひとりで過ごすイブに

2ケ月あまりも温めた 君への歌を歌ってます

 

歌詞だけ読んだら、切ないバラードと勘違いしてもおかしくない、切ないフレーズ。けれどもそう思わせないのは、言葉を彩るメロディがあるから。関ジャニ∞の曲だからこういうちょっとかっこつかない演出が盛り込まれたんだと思うと、愛しさが爆発しますね。どこかレトロなギターサウンドも、大サビ前の錦戸くんのスキャットのパートも、なんとなくかっこつかなくて非常によい。多分他のアイドルが歌ったら、切ないバラードになっただろうに。

 

こんな気持ちを大切にしてたら

サビの最後「いつまでも一緒だよ」ってとこで泣かなかった

 

とか、

 

「さようなら」と書き換えたメロディー

歌えずに もう一度もとに戻した

 

とか、この辺の歌詞なんて、メロディの脚色次第でいくらでも悲劇に演出できると思うんです。でもそうしないんです。そっちのほうが彼らには似合うのです。

彼女に歌うはずの曲を、ボロボロのギター片手に夜空を見ながら延々と一人で口ずさむ。寒いなあ、君は寒がってないかなあ。なんて未練たっぷりのことを考えたりして。そんな寂しい男の背中が目に浮かぶようです。こんなに切ない歌詞なのに、その背景をどんな色にも塗り替えてしまうんですから、メロディの力ってやつは本当に凄い。

ともあれ、そんなせつなかっこわるい(?)空気感が関ジャニ∞にぴったりだと思います。本当に彼らはフラれるのが似合うな。フラれるのが似合うアイドルってどうなの!?それだけでだいぶ愛おしいんですけど。

 

8.元気が出るSONG

メンバーみんなで作詞作曲したっていう時点で強い。この曲が音源化された今となってはもう、この曲なしで関ジャニ∞は語れない気がします。

メンバーはファンへ向けた歌詞とも、メンバーへ向けた歌詞とも取れるように作詞したなんて言っていますが、私はファンが入る余地なんてこの曲にはまるでない気がします。(入っていてほしいという気持ちは大いにありますが…!!)

関ジャニ∞がメンバー同士仲がいいのは言うまでもないし、それが1つの大きな魅力であるのも確か。この曲は、それぞれメンバーが作詞作曲した優しく穏やかな旋律と言葉たちで、お互いへの気持ちを歌いあったもの。

 

笑ってる君の隣に僕はいたくて

楽しそうなその横顔ずっと見ていたくて

やわらかな空気が運ぶこの時間が

永遠に続けなんて願わないから

せめてあと少し もう少しだけ

 

なんて愛に満ちた、温かい言葉でしょうか。

 

恐らく大多数のファンはメンバーがメンバーを大好きでいるのを見ているのが好きです。だからいちいち雑誌のインタビューでお互いを語り合うメンバーを見て、キャーキャーあれこれ騒ぐのです。

それって何ででしょうか。

きれいな顔をした男の子たちがワイワイ仲良くしている図が好きだから。でも、それ以上に大きな理由がある気がします。

 

当たり前すぎて忘れてしまいがちですが、ファンにとって一番嬉しいのは、今日、今という瞬間を、アイドルがアイドルでいてくれること。アイドルがアイドルでいるのを楽しんでくれていること。

脱退、卒業、解散……色々なことがある世界ですから、明日もアイドルがアイドルでいてくれる保証なんてどこにもありません。

我々には想像もできませんが、辞めていく人だって数え切れないくらいにいる芸能界という世界は、そしてアイドルでいることとは、きっとそれくらい思い憂うことの多い世界なのでしょう。

だから、ある意味で「メンバーは仲良くしていてほしい」っていう願望は、ファンの押し付けに近いのかも知れません。

ファンはメンバーが仲良くしている様子を見ると安心するのです。ああ、大丈夫だ。厳しく辛い世界を生き抜く彼らだけど、とびっきりの仲間がついてる。一緒に歩むメンバーがいる。きっと明日もアイドルとして芸能界にいることを、選んでくれる。

こんなに頼もしいことはありません。

毎日試され、傷つき、やっと乗り越える『不確かな日々』の中に、彼らにとっての確かな『今』として潜んだ瞬間。それが、メンバーといる時間なのです。

それを永遠と呼べるまで、繋いでいきたいと、彼らは歌います。

それって、実はファンからするとすっごく贅沢なことです。

 

ああ、こいつの笑ってる顔が見たいな。って、楽しそうな横顔を見ていたいな。って、アイドルが思ってくれることへのありがたさ。

そういうアイドルのファンをやってると忘れてしまいがちな当たり前のことを、この曲を聴くと改めて思い出して噛み締めます。

つぎはぎが見え隠れするようなちょっとぶきっちょなメロディ展開も、彼らがみんなで作り上げた作品って感じがして愛おしい。ずっと、ファンの一人として大切にしていきたい、そして、押し付けに近い願望になってしまいますが、メンバーにも大切にしていってほしい一曲です。

 

9.大阪ロマネスク

再び、とってもミーハーな選曲です。

曲はもちろん好きなのですが、それ以上に私がこの曲を好きな大きな理由、それは、ファンが愛する曲であるということです。

なにかある度にファン投票1位に輝くこの曲。

おちゃらけアイドルで有名な”あの”関ジャニ∞なのに、ファンが選ぶ好きな曲は、楽しい前向きソングでも、かっこいいバンド曲でも、バリバリ踊るダンス曲でもなく、この、しっとり聴かせるバラードなのです。

そう。関ジャニ∞には、バラードがよく似合う。はっきり言ってめちゃめちゃ似合う。

それはゲラゲラ笑う彼らの背景には、背負ってきた大きなドラマがあるから。彼らの背中にはふざけてるようでいつもどこかにぬぐい去れない影があるように思われます。

コンサートでキラキラ輝く彼らの後ろにももちろん、地上波で歌いながら床を這いつくばってお茶の間を凍らせる彼らのうしろにさえ、いつもその影はついて回ります。それはたとえばお客さんが入らなかった過去だったり、たとえばアイドルとして芸能界を生き残るために、正統派アイドルから外れることを選んだ、彼らの決意だったり。そういう彼らの背負う影の数々。

大阪ロマネスクという曲は、まさにその象徴のような存在に思われるのです。

影といっても、決してマイナス要素なわけではありません。アイドルが背負ってきた過去のドラマ達。ファンはその影を知ることで何倍も、何十倍もアイドルを好きになります。だから上手に使えば、そいつはむしろ、アイドルにとって大きな武器になります。

けれども、いつもふざけてて面白い関ジャニ∞にとって、影は不要なものです。いや、不要ではないにせよ、少なくとも、彼らはお涙頂戴的に、わざとらしく影をちらつかせたりはしない気がします。かっこ悪いから。つまり、本人たちはわりとその、背中に背負ったドラマたちに無頓着であるように思えるのです。

しかし、忘れてしまいがちなその背景に、ちゃんとファンは風情を見出しています。だからみんな、事あるごとにこの曲の名前を挙げたり、カラオケの締めで歌うくらいこの曲が好きだったりするのです。その事実が、なんていうか、メチャメチャ好きです。

大阪ロマネスクを聴くと、なんかもう、無条件にみんな「ワァッ」てなるじゃないですか。その瞬間ってみんな少なからず、今言った関ジャニ∞の”影”のことを想ってる気がするんです。

ファンが言う「大阪ロマネスクが好き!」って言葉には、「あなたたちの苦労とか、決意とか、私はちゃんと知ってるよ。」って意味が含まれている気がするのです。

 

この曲が流れれば、ファンはこぞって関ジャニ∞の背負うドラマチックな何かを想って泣きます。何かにつけて彼らにこの曲を歌わせたがるのは、照れ屋な関ジャニ∞の背負う、数々のドラマを風化させないため。大阪ロマネスクが好きっていう事実は、関ジャニ∞への無償の愛とどこか通じるところがある気がするのです。

だって、多分どんなにふざけた映像でも、背景でこの曲が鳴っただけでみんな泣くじゃないですか。泣きますよね?わたしいきなりドッジの映像の背景で流れてても泣きます。一気に、「ああ、こうしてふざけてる彼らが、色々なものを乗り越えてここまで来られて本当によかった。ありがとう。大好きだよ」的な雰囲気になりませんか?これって、大阪ロマネスクだけが持つ特性に思えるのです。

そうやって分かりやすくみんなで一斉に涙する曲があってもいいと思うのです。あるから、いいのだと思うのです。この曲がある限り我々は一生、関ジャニ∞をただの『いつも面白いおじさんの集まり』だなんて思えませんから。

 

過去に錦戸くんが、この曲を名曲にしたのはファンのみんなだよ、って言っていたらしいですが、まさにその通り。メンバーもそう思っているところが、また素晴らしい。そういう意味でも彼らの言う通り、この曲はファンへのラブレターなんだなあと勝手に思っています。

 

似たような理由で、I to Uも好き。いや、正直なところ別に好きじゃなかったんですけど、ファンのみんなが好きな曲だってことを知ってから、一気に好きになりました。ああ、なるほどね!みんな、こういう曲を歌ってる関ジャニ∞が好きなのか、って。わかってるよなあ、ファンって。こういう、ファンが無条件に好きって言う曲ってどうやって生まれるんでしょう。不思議でなりません。

 

10.Tokyoholic

コンサートで初めて聴いた瞬間に「あっ 一生好きこの曲」って確信した曲。この度めでたく音源化が果たされたので選ばせて頂きました。

まずかっこいいのは、この曲が辿ってきた音源化への道のり。

我々が初めて得たこの曲の情報は、シングル『NOROSHI』に収録されたインスト曲の、しかも未完成のセッションの“映像”でしたね。歌詞どころか、曲名も無い!無数のハテナが頭に浮かびました。でも、そんなことどうでもよくなるくらいにかっこよかった。そして思います。これ、コンサートでやってくれるのかな。

そして、完成形のこの曲が、コンサートでお披露目になります。えっ!!!!歌詞ついてる!!!!“ライブ”で聴くこの曲は、全く頭が追いつけないまま、ものすごい速さで駆け抜けていきました。錦戸くんの『I don’t like you Tokyo!!!』という叫びだけを耳に残して。

なんだか分からないけど、とんでもないものを見た気がする…

という過程を経て、やっと今、“音源”としてこの曲を聴いているわけです。

この、“映像”→“ライブ”→“音源”という流れで、楽曲が完成していくのが本当にかっこいい。例外こそあれ、本来音楽というものはCD、つまり“音源”があってその曲を披露する“ライブ”があって、それが“映像”として残る。だから、“音源”の答え合わせや味付けを後からするんです。

しかしこの曲は真逆を辿りました。ほんのちょっとチラ見させて、名残惜しいくらいのスピードでお披露目して、やっと今全部を拝んでるわけです。だから「ああ、そういえばこんな演出があったな!」とか、「この部分、そういえばセッションしてたな!」とか、否が応でも思い出すのです。

だから私の中には、どうしてもこの曲には東京ドームのど真ん中で『I don’t like you Tokyo!!!』と声高々に叫ぶ彼らの姿が付き纏います。あくまで今回取り上げているのはみんな音源の話なのですが、この曲に関しては、どう足掻いても前提にライブがあるのです。音源が生まれた瞬間にはもう、コンサートで拝んだこの曲があったわけですから。どうやってもライブと音源が切り離せないという意味でも、この曲はとても特徴的です。

 

それでは、肝心の音源の話をしましょう。

今この時代には多くのアイドルが存在していて、きっとそれぞれが大きなドラマを抱えています。メンバーの脱退だったり、日の目を見ない地下アイドルをやっていた過去だったり。そういうものを経て今があるからこそ、ファンが今目にするアイドルは余計に輝いて見えるのです。

そして、彼らにとってのドラマとはきっとこの曲が描く、「関西で生まれたこと」。「関ジャニ∞と東京」。それは多分、彼らが抱える最大のドラマだと思うのです。

しかし彼らはこれまでその苦労や葛藤をシリアスに振り返るようなことをあまりしてこなかったように思います。貧乏だった日々のこと、努力をしても誰も見てくれなかったこと、バラエティで笑いを交えながら語ったことはあれど、その深淵をファンに覗かせるようなことはしなかった。ロマネの話をした時にも同じことを言った気がしますが、かっこわるいからです。どんなに辛かったか、どんなに苦労したかを語って見る人を泣かせるよりも、「ほんまに死ぬかと思ったわ」ってゲラゲラ笑い飛ばして、それを見る人を笑わせるほうが、彼らにとってはかっこいいんです。

Tokyoholicは、そんな彼らが初めて、自分たちの葛藤や苦労を最初から最後まで悲痛に叫んだ嘆きの歌であるように思います。今まで覗かせてくれなかった深淵のすべてがありました。

こんなに彼らの関西弁が悲しく聴こえる曲はほかにありません。

関ジャニ∞が今の地位を築いてから、彼らの話す西の訛りは、彼らのステータスであり、芸能界を生き抜く他とない武器になりました。けれどこの曲に放り込まれた関西弁は、そうなる以前の関西弁。『東京の人間でない』という事実の象徴なのです。

東京の人間でなかったから、彼らは物凄い苦労をしてきました。東京の人間じゃないから、いくら頑張っても誰も自分たちを見てくれない。自分達の才能に気付いてくれない。爪を噛みながら東京でちやほやされている同業者たちを睨みつける、地獄のような日々。何もかもが目まぐるしく回っていくこの街ですから、容赦なく時は流れます。立ち止まったままでいようものならあっという間に置いていかれることへの焦り。だからもうがむしゃらに走るしかない。けれどどこに行けばいいのかも、そもそもどれだけ走ってきたのかもわかりません。走っても走っても満たされない。追いつけない。全部全部、この街が悪い!

でも、その、世界で一番憎い敵であるはずの東京に認められなければ、彼らにとっての成功は無くて。

そういう、彼らがかつて抱えてきた我々には想像も及ばないくらいの苦悩を、葛藤を、焦りを、そのまま歌にしたような曲です。

『そんなはよ歩かれたら姿も見失うわ』『そんな上から見んなやこっちも必死なんじゃ』

耳を塞ぎたくなるくらいの、悲痛な叫びです。 

関ジャニ∞が、こんなにみっともないくらいに弱音を吐いたことが、未だかつてあったでしょうか。関西人であることの喜びを歌った曲こそあれ、その悲しみを嘆いた曲が、あったでしょうか。

そういう、彼らの辿ってきた色々なものを思うと、もう、この曲を愛さずにはいられません。

東京という街の持つ無機質な冷淡さみたいなものを語る曲はいくらでもありますが、こんなに説得力を持って歌い上げられるアイドルは多分他にいません。

そしてその、にっくき東京という街で、『東京の人間ではない』という事実を逆手に取って成り上がった彼らのかっこよさを改めて噛みしめる瞬間でもあります。

 

そして、こんなに壮絶なドラマを、しっとりバラードにするのではなく、相槌を打つ暇もないくらいの速さで駆け抜けていくのが本当に関ジャニ∞らしい。こっちがHey!wait!って叫びたくなるくらいのテンポと叫んでいるような楽器のサウンドに、伝わってくるのは彼らの焦りだけ。涙を流す暇もありません。やっとこの曲の意味を解釈して泣けたのは、音源になって聴いた時でした。しかしもう、その時彼らはもう目の前からいなくなっているのです。コンサートは終わっていますから。

そうです。彼らの過去語りに涙はいらないのです。涙の共有なんてかっこ悪いからです。泣くなら、勝手に一人でせえや!とでも言うように、ポーーンとB面に放り込まれた音源。

か……かっ、かっこいい~~~~!!!!一生大好きです!!!!

 

 *        *        *

 

以上です!!!!!いかがだったでしょうか。

改めて、わたし的これしか聴けないならどれ曲10選です。ドン!!!

 

1.へそ曲がり

2.勝手に仕上がれ

3.ロイヤルミルクストーリー

4.七色パラメータ

5.This moment

6.LIFE~目の前の向こうへ~

7.君の歌をうたう

8.元気が出るSONG

9.大阪ロマネスク

10.Tokyoholic

 

うん、わかる。(にしてもTAKESHIさんの曲好きすぎるな……)

けれども、改めて念を押しておきたいのは、これ、好きな曲トップ10ではないということです。あくまで、これしか聴けないなら、という基準で選んでいるのです。当然、同じ系統の曲は少なくなりますし、トップ10に入るほどに好きな曲ではなくても彼らを応援していくうえで重要な曲ならば入ってくることになります。どちらかというと、ベストアルバムを作ったのに近い感じなのでしょうか。

好きな曲となるとまた変わってきそうですよね。まあ、私はとても選べないのでそっちは諦めます。

 

年明けに書き始めたはずが、思いがけず盛り上がってしまい3月になっていました。拙い日本語で思っていることの半分も文字にできなかった気がしますが…とても満足しました。読んでくださったみなさま、ありがとうございました!

そしてもしみなさまの死ぬまで10選(略し方よ……)がありましたらぜひとも耳打ちで教えてくださいね。

では、最後に、惜しくも10選から漏れた曲を未練がましく並べ立てて終わりにしようと思います。また次回、死ぬまでこれしか見られないとしたらどれ!?曲10選〜コンサート映像VER.〜でお会いしましょう!!!

 

 

 

 

マイナス100度の恋

今回は、君うたとカブるという理由で惜しくも選外となりましたが、たまに無性に聴きたくなる大好きな曲。関ジャニ∞史上最高の失恋ソングと行っても過言ではないのでは…?

♪外は雪 思い出さないのかい? あの日のこと 君は俺に未練はないのかい?

って、あんまりにも悲しすぎる。横山くんの声が痛々しく刺さりすぎる。いつか大失恋したらこの曲聴きながら寒空の下で号泣することにしますね…

 

どんなに離れてたって傍にいるから

俺がいるから ここにいるから どんなに離れてたって傍にいるから

いつかきっとかっさらいに行く もっとお前にふさわしい俺になって

全体的にアイドルが歌う曲として夢がありすぎる。仕事終わりに疲れた顔で電車に揺られながら聴くと、なんかもう種類の分からない謎の涙が出てきます。誰か~~~かっさらいに来てくれ~~~

 

EXTEND!

びっくりするくらい大好きなカップリング曲です。強強強のカップリングは本当に名曲揃い。わりと地味な曲な気もするのですが、楽曲の構成がめちゃめちゃかっこいい。イントロとか、最後にAメロが出て来る感じとか。2番歌い出し、丸山くんのはあ~~~↑(?)で死ぬ仕度はとっくにできてるのにどうしてコンサートでやってくれないんですかね…

 

my store~可能性を秘めた男たち~

とんでも自虐ソングに見せかけて、ただの自虐ソングなんかじゃ絶〜〜〜ッ対にない。この曲はまさに、関ジミ3"だった"今の3人が歌う、関ジミ3への応援歌。当時の苦労や葛藤を笑い飛ばせるくらいに成長した今の3人だからこそこの歌を歌えるのだと思う。

後列であんまり目立てなかった、当時の彼らの血の滲むような努力の片鱗を私達に覗かせてくれる。それをこういう押し付けがましくないユーモアたっぷりの曲に乗せてくるところが私はとても好きだ〜〜〜!!!関ジミ3よ!!!泣きたくなったのならこの歌をうたえ~~~!!!

 

イッツマイソウル

多くを語る必要はないと思います。だってみんなこの曲大好きじゃないですか。私も大好きです。

 

わたし鏡

よく夜道を歩きながら聴きます。いつの間にか私は大阪にいて、遠距離恋愛中の章大くんが東京で待っていてくれているみたいな気持ちになります。気のせいです。受話器越しに抱いてくれ~~~

ファンになって浅い頃、安田くんの作詞作曲した曲だと聴いて本当にびっくりしたのを覚えています。aikoかよ!!!って思いました。

 

罪と夏

2016年シングルで個人的優勝はこの曲でした。ただのパリピソングかと思いきや、”夏”という季節の持つ独特の物寂しさなんかがとびっきりきれいな日本語と一緒に盛り込まれていたり、楽曲の構成がメチャメチャ凝りに凝っていたりとか、聴けば聴くほど深みのある1曲。プレイバック!の一声でAメロがプレイバックするのとか、本当に、罪なくらいかっこいいんだよな~~。あと、大倉くんのオク下が最高。

 

パズル

元気SONGと迷って、今回は選外。斉藤和義さんの曲だけあって独特の哀愁が印象的なこの曲には、大阪という街を背負って東京で生きていく彼らの覚悟とか不安とか、そういうごちゃごちゃした何かがギュッと詰まっています。そういう意味でこの曲も関ジャニ∞を語る上で欠かせないものなんじゃないかなあと思います。丸山くんの下ハモが本当に愛おしい。

 

乱れ咲けロマンス

はい!!!泣く子も黙る最強のお色気ソングです~~~!!!ですが、やっぱりフラれています!!!関ジャニ∞なので!!!

お願いだから、コンサートで、真っ赤な衣装を着てとびっきりセクシーなダンスをしてほしい。真っ赤な花びらが舞い散る中で踊ってくれ……わたしには見えるのです……

 

純情恋花火

はいみんな机に伏せる~~~!!!いいか、正直に言ってみなさい。先生怒らないから。純情恋花火聴きながら、自担との夏祭りデートの想像したことある人~~~???うん、うん……はい、わかりました。顔上げて~~~。全員でした。ありがとうございました。

 

Baby Baby

アルバム、8UPPERSの中でもとびきり甘くて優しいこの歌。すごく個人的になんですが、横山くんの主旋律に丸山くんが上ハモを当てるのが性癖大好きなので、1番のBメロ、♪朝焼けが~のところで聴く度に泣いています。私は見られなかったのですが、エイタメコンでまさかの復活を果たしたとのことで…映像化がまたれます。震えています。

 

二人の花

丸山担なので。すみません。ごめんなさい。石を投げないでください。

 

次の春です。

メロディの運びがとにかく美しい。文句の1つもつけようのないくらいに美しい。と思ったら、作曲されたSAKRAさん、私の愛してやまない嵐の名曲、GUTS!の生みの親でもあることを知りとても驚きました。大阪から上京する物語なのもとってもいいですよね。

 

ナイナイアイラブユー

私はよく夜道に聴きながら帰っています。7人のハーモニーがとっても贅沢で美しい一曲。

そしてこの曲を私が愛するのは、最早執念でもあります。ここまで分かりやすくトランペットソロがあり、アカペラのパートもあり、何故コンサートでやらない……???元気コンは、もうこの曲を聴きに行ったと行っても過言ではないのに…いつまでも成仏できません。助けてください。

【今冬オススメ!】クリスマスは自担にふられる妄想を☆ミ

お久しぶりです!メリークリスマス!

突然ですが皆さん、自担にフラれる妄想ってしますか?

私はします!!!!!!

 

めちゃめちゃします!!!!

ですが先日、ポップでハッピーなジャニオタ(JUMP担)とご飯に行った時、一刀両断されました。

「しないよ~~~~!!!幸せな妄想しかしない!!!」

「どうせ叶わないのになんでわざわざ辛い妄想するの!?!?」

「ね~~~!!有岡くんに◯◯してほしい~~♡」

「わかる~~~♡♡」

 

言われてみればその通りすぎて何も言えないな。と思いつつも圧倒的な壁を感じ震え上がった私は、一般的なジャニオタとダークサイドのジャニオタの境界線のひとつをここに見た気がしました。

一般的なジャニオタって、自担にフラれる妄想とかしないのか……。

というわけで今回は、ポップでハッピーなジャニオタの皆さんをこちら側のダークサイドへとご案内するため、そして道を同じくするダークサイドのジャニオタの皆さんと同じ種類の涙を共有するため、「フラれたい丸山隆平3選」をお送りいたします!!!!

みんなも自担にフラれる妄想、しようぜ!!!!

 

①花屋店長33歳丸山隆平

私は、しがない女子高生。クラスでも目立たない存在で、友達も多いほうじゃない。平凡などこにでもある毎日を、平凡に過ごしている。

そんな私の生活の、唯一の非平凡。それが、彼だ。

「おー、◯◯ちゃん。今日もおつかれさん。」

通学路を一本折れたところにできた花屋。そのオーナーである、丸山さん。黒縁メガネに長いエプロンと、ゆるく当てたふわふわのパーマが、ひょろりと長い体躯によく映える。

「今日も来てくれてありがとう。どれにする?あ、今日は丁度フリージアが入ったとこやねん。もう春やねえ」

甘い声で優しく紡がれるこっちではあまり耳にしない西の訛りに、頬が熱くなるのを感じる。じゃあそれをください、私はやっとの思いで一言だけ口にした。

 

去年の冬、祖母が倒れて入院した。その見舞いの花を買いに行ったのが、彼との出会いだった。

祖母が、入院したんです。口下手な私はそれだけ口にして、なけなしの小遣いである2000円を差し出した。そんな私に彼は優しく微笑みかけて、私のために花を選んだ。その男らしい手に、緩んだ目元に、釘付けになった。

「早くおばあさんが元気になりますように。」

その言葉と一緒に手渡された2000円じゃちょっと足りなそうな花束を抱えて、私は頭を下げて店を飛び出した。はやる胸を抑えながら、もう次に会いに行く口実を探していた。

頬が、身体が、熱かった。

恋人ができたことも、男の子を好きになったこともない私でも、それが恋だと分かった。

 

あの日からずっと、花屋へ通って毎日1本だけ花を買うのが、学校帰りの私の日課になっている。迷惑だろうか、と思いながらも、高校生の少ないお小遣いには、これが精一杯だった。

口下手な私は、やっぱりまともに話しかけることもできていない。毎日笑顔で迎えられて、他愛もない話をされて、上の空で返事をして、それだけだ。知っているのは、彼の名字と、関西のどこかの生まれであることと、火曜と土曜はお休みだということくらい。歳も、下の名前も、血液型も、何も知らない。

けれど彼に片思いをし始めて、いつの間にか1年が経っていた。

部屋に置かれた花瓶は、毎日ちぐはぐに足されては引かれる花でいっぱいだ。

アネモネの花を一輪抜き取って、告白しよう、そう思った。

 

「おー、◯◯ちゃん、いらっしゃい。今日もおつかれさま。何にする?」

柔和な笑みを見せる丸山さんは、いつものようにとびにり甘い声で言う。早鐘のように鳴り立てる心臓を押さえつけて、やっとの思いで私は言葉を絞り出した。

花束を、贈りたい人がいるんです。

なけなしの2000円を手渡すと、丸山さんは少しだけ驚いた顔をして、それから微笑んだ。

「うん。どんな人に贈るん?」

丸山さんの男らしい手が、ショーケースのガラス戸を開けた。

…男らしくて、でも優しくて、格好良くて、笑った顔がとっても素敵で。お話は面白いけれど、話す声は砂糖菓子みたいに甘くて。…大好きなんです。はじめて、大好きになった人なんです。

丸山さんは、必死で話す私の震える声にひとつひとつ相槌を打ちながら、花を選んだ。

「こんな感じでどうでしょう?」

ピンクのチューリップがあしらわれた、2000円じゃちょっと足りなさそうな、春色の花束。私が頷くと、彼はその男らしい肉厚な手で、花束に淡いピンクのリボンを施した。その不釣り合いな光景に、いつもよりもずっとドキドキした。

「はい、どうぞ」

手渡されたそれを、私は何も言わずに彼の胸へと突き返す。時が、一瞬止まる。

顔を見るのも怖くて、一目散に店を出た。

言った。言ってしまった。伝わった。

不安と恐怖と少しの達成感が、私を満たしていた。

 

 

いつもと同じ帰り道。私は、立ち止まっていた。

丸山さんに、どんな顔で会えばいいのか、会ったらどんな言葉を掛けられるのか、想像しただけで震えが止まらなかったからだ。

帰ろう。伝わった、それだけで十分じゃないか。そう思った矢先だった。

「◯◯ちゃん!」

花屋へと続く角を折れるのが怖くて、早足に立ち去ろうとしていた私を呼び止める声がした。丸山さんが、こっちへ駆けて来る。

丸山さんが、私を待ってくれていた。私を探してくれていた。今だけは、私だけの丸山さんが、そこにいた。

「昨日はお花ありがとう。びっくりしたよ。◯◯ちゃん、意外とロマンチストなんやねえ。」

走ったせいで乱れたふわふわの髪を右手で直しながら、彼はいつものようにふにゃりと笑った。

「僕からのお返し。はい」

渡されたのは、綺麗なリボンをかけられた、アネモネの鉢植え。

貴方に恋をしてからめっきり花に詳しくなってしまった私は、もう涙が止まらなかった。

丸山さんは泣きじゃくる私の頭にそっと手を置いて、ポニーテールが崩れないようにそっと撫でてくれた。

「◯◯ちゃん、ありがとね。ごめんね。」

彼のいつもと変わらぬ優しく甘い声は、いつもより少しだけ冷たく私の心に溶けていった。けれど、穏やかな温かい風が吹いているような心地もした。

素知らぬ顔で、アネモネは心地よさげに花を揺らす。

そうだ、私と彼の住むこの街には、もうすぐ春がくるのだ。

 

アネモネ花言葉:はかない恋

 

②元カレ28歳丸山隆平

彼と初めて会ったのは、大学1年の春のことだった。

大学に入学して、特別したかったこともなかったのだけど、音楽が好きだった私は何の気なしにてきとうな軽音楽サークルに入会した。

新入生歓迎の飲み会の席で、隣の席だったのが彼…丸山くんだった。

進学で京都から上京してきたという彼は、愉快だけどどこか穏やかな西の言葉を話した。ひょうきんで気遣いができる性格なので、いつもサークルの中心にいるように見えた。

初めて会ったときは、笑った時の笑窪がいいな、なんて思った。

そのうち、ひょろりと長い手脚でベースを弾く横顔が素敵だな、とも思うようになった。

夏になって、一緒に行った花火大会の帰りに告白された。初めて会った時から気になっていた、付き合ってほしい。ぎこちない標準語で、真っ赤になった彼は言った。

断る理由もなかった。そうして私と丸山くんは、恋人同士になった。

それから私たちは、恋に溺れた。若かった私は、隆平くんが大好きで大好きでたまらなかった。色んな所に行った。色んなことをふたりでした。初めて口づけされた夏祭りの金魚すくいのことも、一緒に作って失敗したクリスマスケーキの微妙な味も、今でも鮮明に思い出せる。

そして多分、隆平くんも、私のことを同じくらい好きでいてくれたんだと思う。大学と隆平くんの家を行き来するみたいな生活が続いて、お互いに成績はめちゃめちゃだった。けれど、それすらも楽しくて、隆平くんがいればそれでいいやと、真剣にそんなことを思ったりもしたものだ。

それくらいに隆平くんは優しかった。優しすぎたのだ。

4年生になって、就職活動が始まった。

私と隆平くんは、この頃初めて大きな喧嘩をした。うまくいかない就職活動の苛立ちも相まって、要領を得ない隆平くんの物言いにカチンと来た私が、一方的に怒鳴り散らしてしまったのだ。

どうしていつもそうやってはっきりしないの。自分の気持ちをきちんと言ってよ。

顔を真っ赤にして怒鳴る私に、隆平くんはごめんな、ごめん。ほんまに気をつける、なんて泣きそうな声で言った。今思えば分かる。彼のはっきりしない言葉選びも、終着点が定まっていなくて何が言いたいのか分からないような話も、私を傷つけまいとする、行きすぎた優しさが裏目に出てしまっていただけなのだ。

けれどその時の私にそんなことに気付く余裕は無かった。あんなに大好きだった笑窪が、憎らしくてたまらなくなってしまった。

就職活動は私も隆平くんも思ったように捗らなくて、お互いに顔を合わせると喧嘩をしてしまいそうで、自然と私の脚は隆平くんの家から遠のいた。電話もメールもまばらになった。そんな折、説明会で男の人に声を掛けられた。某メガバンクの内定を持っていた彼は、私の相談相手になってくれた。その甲斐あってか、彼の内定先である銀行の一般職として就職が決まった。

愚かな私の心は、もう完全に揺らいでいた。落ち葉を踏みしめながら久々に赴いた隆平くんの家で、別れよう、そう告げた。

隆平くんは泣かなかった。ぐっと唇を噛んで、下がったままの眉で無理矢理笑って、今までありがとう、とだけ口にした。

そして地元の関西で就職が決まっていた彼は、東京を去った。

 

春、就職した私は新しい彼氏と上手くいかず、どうしてだか隆平くんのことばかり思い出すようになった。自然と彼の向こうに隆平くんを探すようになって、間もなく別れた。自分の愚かさを痛いほどに呪った。あの時隆平くんが噛み締めた唇の向こうに抱えていた言葉を想像して、一人きりの部屋で膝を抱えて泣いた。

それきり連絡を取ることは無かったのだ。

 

「…◯◯ちゃん、久しぶり」

声を掛けてきたのは、彼の方だった。

サークルの同窓会があった。

久々に会った隆平くんは、見違えるほど魅力的になっていた。いや、私が知っている記憶の中でも、隆平くんは十分素敵だったのだけれど。無造作なパーマが当てられていた長めの髪はすっかり切り揃えられていて、きちんとスーツを身に纏った彼は、すっかり大人になっていた。お酒のせいで少し赤らんだ頬で、ちょっぴりぎこちなさそうに微笑んだ。酔っ払った友人が、かつての恋人同士であった私たちが話しているのを見てあれやこれや騒ぎ立てる。

「なあ、…なんていうか、ちょっと抜けへん?」

真剣なその声に、それまでの酔いが一気に抜けるのを感じた。私はやっとの思いでいいよ、と告げる。旧友たちの騒ぎ声も遠くに感じながら、二人で店の外に出た。近くの公園のベンチに、並んで腰掛ける。

「いやー、久しぶりやね!ずっと話しかけたかってんけど、なんか気まずくてさあ。元気しとった?」

目を合わせないのに、不自然に明るい話し方。気を遣ってくれているのが分かる。聞きたいことも伝えたいことも、山ほどあった。

ねえ、隆平くん。離れてから、私のことを思い出すことはあった?私は毎日あなたのことを考えてたよ。私に別れを告げられたあの日、あなたは何を思ったの?ごめんね。本当にごめんね。

けれど、そんなこと、一方的に別れを切り出した私に言えるわけがない。あまりの緊張で私が黙っていると、不安そうにこちらを覗き込んだ。

「あっ…もしかして、嫌やった…?」

ごめん、俺アホやからそういうの気づけへんくて…だとかなんとか口をモゴモゴさせる隆平くんに、慌てて首を振る。嫌じゃないよ、嬉しかったよ。それを聞いて、隆平くんが安心したようにやっと笑った。あの頃と変わらないところにできた笑窪に、私もふっと頬が緩む。

「◯◯ちゃん、めっちゃ綺麗になったね」

隆平くんは、なんてこと無いみたいに恥ずかしいことを言う。そんなところもあの頃と変わらない。

これは、自惚れてもいいのかな。なんてことを思いながら胸の高鳴りと少しの期待を噛みしめたところで、隆平くんが口を開いた。

「実はこれ、まだ誰にも言ってへんのやけど」

私は前のめりに、彼の言葉を待った。でも、なんてことない顔で、なあに?だなんて口にした。

「…俺、結婚するんや」

その言葉の意味を理解した瞬間、忘れていた夜の喧騒が、一気に戻ってきた。車のクラクションの音、夜の街のざわめき、そんなものが私の耳を侵して、聴覚を奪った。

少しだけ期待したさっきの自分を、殴ってやりたくなった。

時が、止まったように思えた。けれど、それはまたすぐに動き出した。

「だからね、うんと……◯◯ちゃんには式に来てほしいなって思って。や、嫌やったらええんやけど…」

相変わらずの要領を得ない話し方。不安そうに私の目を覗きこむ彼に、私はやっとの思いで笑いかけ、うん、行くよ。そう言った。

「ほんまに!?よかったあ、絶対連絡するから待っとって」

隆平くんは目尻を下げて笑った。その頬に浮かんだ笑窪はもう、私じゃない誰かのもの。

「◯◯ちゃんはどう?今彼氏とかおるん?」

無邪気な笑顔に、少しだけ怒りすら覚えた。もうずっといないの、貴方のことが忘れられないから。そう叫びたい心を押さえつけて、まあね、なんて誤魔化す。

「そうなんやぁ、ちょっと妬けるなあ、なんて」

なんて、なんてずるい人。ううん、悪いのは私。貴方を捨てて、他の人を選んだのは、他でもない私なのだ。そんなことは痛いほどに分かっているけれど。

「マルー!電話鳴ってるよー!☓☓ちゃん、あっ、ちょっ…女の子じゃん!!」

二人の静寂に割って入った、旧友の声。ちょっと、勝手に見んといてよー!!そう叫んで立ち上がった隆平くんは、こちらを振り返る。

「時間くれてありがと。行こ、皆が待ってる。」

隆平くんの柔らかそうなその手が私に差し出されることはなくて。冷えた私の手が、一緒に彼のポケットに吸い込まれることもなくて。

私はその手の温度を知っている。伏せられたその目の睫毛が意外と長いことも、左右の二重の幅が違うことも。

かつては確かにあった過去を思って、涙が出そうになるのをなんとか堪えた。

 

あれだけ飲んだのに、帰りのコンビニで缶チューハイをいくつか買った。

家までの道のりを、ビニール袋をぶら下げてわんわん泣きながら帰った。

私は馬鹿だ、大馬鹿だ。

あの優しさが、慈しむような微笑みが、私に向けられていた日があったのに。

 

頭の上で、こんな日に限って月は馬鹿みたいに明るい。

ねえ、隆平くん。もしも、私も貴方と知らない誰かの幸せを祈れるくらい優しい女の子だったら、貴方のくれた優しさに気づけたのかな。

私を大事にしてくれた貴方のことを、もっと大事にできたのかな。

喉まで出かかったお幸せに、の独り言をやっぱり吐き出せなくて、誤魔化すみたいに缶チューハイを煽った。

 

 

ジャニーズ事務所所属アイドル丸山隆平

関ジャニ∞、ねえ。

マネージャーが次に持ってきた仕事は、関西のローカルバラエティ番組への出演オファーだった。

私は、女優をしている。18歳の時某有名オーディションで準グランプリを受賞したことがデビューのきっかけだ。その後ドラマや映画にそれなりの数出演したものの、所謂黄金期と呼ばれる時期は少し前にすぎ、現在はちらほらとやってくる仕事をこなして生活している。そんな生活に不満はない。今年で、29になる。

机を挟んで向かい側に座る、マネージャーの説明を聞く。私は生まれも育ちも東京だから、この番組の名前を聞くのは初めてだった。まあ、ローカル番組だし、気張らずに臨んでいいだろう。私はそんなことを考えつつ、右手に持ったコーヒーのカップを傾けながら台本のページを繰った。

「こんな感じで進むから、一回台本読んで頭に入れておいて。…あ、そういえば」

マネージャーが、立ち上がりつつ思い出したように言う。

「番組の冒頭で、誰がタイプか聞かれるそうだから、一応考えておけって」

コーヒーのおかわりは?そう聞かれて、じゃあお願い、とカップを手渡した。

ふむ。私は関ジャニ∞のメンバーを頭に思い浮かべる。真っ先に浮かんだのは、大倉さんの顔だった。彼とは数年前にドラマで共演したことがあるからだ。話の展開的にも、彼の名前を挙げるのが適当だろう。あとは、バラエティで共演したことがある村上さんと横山さん。そういえば錦戸さんとはまだ一緒にお仕事をしたことがないな。あとは…そういえば、名前も朧気な方もいる気がする。これを機に、きちんと覚えておかなくちゃ。

私はそう思って、マネージャーから受け取った2杯目のコーヒーを啜りながら、台本の出演者のページを開いた。

 

 

「本日のゲスト、◯◯さんです。どうぞー!!」

収録当日、私は大きな拍手と歓声で迎えられた。村上さんに促されるまま、その隣に座る。反対隣に、渋谷さん。後ろに、錦戸さん。

トークは他愛もない私の近況報告から始まり、マネージャーに言われていた通りの話になった。

「…毎回女性ゲストの方にお越しいただいた時お聞きしてるんですけど、強いて言うなら関ジャニ∞の中で、誰が一番タイプでしょうか?」

村上さんがどうしてだか申し訳無さそうに問う。私は用意していた通り、大倉さんです、と答えた。以前ドラマで共演させていただいて、とても紳士で優しかったことを覚えているので。これまた用意していた通りの話をすると、大倉さんがドラマの際の話をしていた。関西人なだけあって、主に渋谷さん、村上さん、横山さんがトークを面白おかしく盛り上げてくれた。私は彼らの息のあった会話のテンポにずっと笑いっぱなしで、この辺はやっぱり流石だなあ、だなんて考えていた。

私の生い立ちや趣味についてを中心にトークは展開して、収録は次のコーナーに移った。このコーナーは、関ジャニ∞のメンバーと一緒に私のしたいことを実現させる、というものだ。私は事前に鍋パーティーがしたい、と伝えてあった。

鍋のセットが運ばれてきて、めいめい盛り上がりながら取り皿を受け取る。気を利かせて私に器を手渡してくれたのは、安田さんだった。話に聞いていた通り優しい人なんだなあと思っていると、突然背後から奇声に近い声が上がって、驚いて振り返る。声の主はさっきまで物静かにしていた丸山さんだった。

「出たな!鍋将軍!」

他のメンバーが囃し立てると、彼はにわかにはちょっと信じられないくらいのテンションで真ん中に踊り出て、その場を仕切り始めた。

その後メンバーにいじられつつも手際よく鍋を完成させた丸山さんは、真っ先に私の取り皿に具材をよそってくれた。そして「熱いから気をつけてください」だなんて、さっきまでの元気印のイメージは吹き飛ぶくらい優しい声で言って、微笑んでくれた。

あー、ファンの子は丸山さんのこういう二面性が好きなのかなあ、だなんて考える。

 

そんなこんなで大いに盛り上がった収録は終盤を迎え、残るはエンディングトークだけとなった。ここでも相変わらず話上手な村上さんが取り仕切る。

「…お付き合いいただきありがとうございました。今日いかがでしたでしょうか?」

とても楽しかったです、みなさん本当に面白くて、たくさん笑わせて頂きました。私はそのような、当り障りのないことを口にする。

「では最後にお聞きしますが、番組冒頭では大倉さんとおっしゃっていただきましたが、もしも今日一緒に過ごして好みのタイプが変わっていたら教えて頂けますか?」

村上さんに言われ、私は自然と口にしていた。

丸山さんです。

思いがけず名前を呼ばれた丸山さんがまた妙な声を上げながら前へ躍り出る。それが面白くて、私は思わず笑ってしまった。

「なんでまた丸山に!?」

村上さんに問われ、お鍋の器を渡すとき、熱いから気をつけてって言ってくださってと言うと、メンバーが揃って丸山さんをいじり出した。うわぁ、こいつ好感度上げようとしとるで、何気回してんねん。丸山さんはみるみる赤くなって、私の手を握って、やっとの思いで

「ありがとうございます…」

とだけ言った。すかさず村上さんが手にしていた進行表で頭を叩いたけれど、私はその様子が可愛らしくてまた笑ってしまった。

 

収録後、楽屋へ挨拶に向かう。席を外している方もいらっしゃったが、その場にいた丸山さんがわざわざ弁当を食べる手を止めて笑顔で迎えてくれた。

今日はどうもありがとうございました、ご一緒できて嬉しかったです。

私がそう言うと、丸山さんはこちらこそ、と言って握手を求めてきた。

「俺も楽しかったです。ていうか◯◯さん、鍋好きなんですね?」

ええ、大好きです。でも最近食べていないなあ。

「あっ、じゃあよければご飯行きましょうよ!ええ店知ってるんです。そうやなー、大倉も連れてきます!」

勝手に決めんなやー、間髪入れずに大倉さんの声。そのテンポの良さに笑ってしまった。

ええ、ぜひ。楽しみにしてます。

私はそう言って楽屋を後にした。

 

…そして、丸山さんと大倉さんからマネージャーづてに連絡が入ったのが数日前のこと。あのお誘い、本気だったんだ。とびっくりしたのを覚えている。

私は女優仲間であり先輩の☓☓を誘い、一緒に行くことにした。指定された店までタクシーで向かう。

「えっ!?」

車中で☓☓が声を上げた。

「◯◯ちゃん、今日大倉さん来れなくなったらしいよ。収録伸びちゃったって。」

携帯を見ながら彼女は言った。あちゃー、妙なスリーショットになってしまった。

着いたのは、くねくねと道を入ったところにある隠れ家的な佇まいの店だった。案内された個室で丸山さんが先にいらしていて、待ってくれていた。

「どうもー!お久しぶりです。すいません、大倉のやつ、来られなくなっちゃって」

「いえいえ!マルちゃん、久しぶり!調子いいみたいじゃん!」

☓☓と丸山さんは、以前ドラマで共演したことのある仲だ。

「いやいや!そんなことないですって。まだまだです」

他愛もない話をしながら、めいめい席につく。乾杯ののち運ばれてきた鶏つくねの鍋は、本当に美味しかった。

聞き上手な丸山さんの相槌に、おしゃべりな☓☓はずっと上機嫌だった。彼女の明るい話し声と、どんどん手元に増えていくジョッキグラス。そして私はようやく彼女がとんでもない酒飲みであったことを思い出したのだった。

「ああ~もうダメ。寝るね!」

その言葉を最後に、彼女はテーブルに突っ伏して動かなくなった。

もう、起きなさいよ。私は肩を揺するが、まるで動く気配はない。丸山さんをみやり、ごめんなさい、と言うと、彼は「ええよぉ」と言いながらケラケラ笑った。

「そろそろお開きにしよかあ、◯◯ちゃん、今日は来てくれてありがとう。楽しかった?」

とっても。そう返すと、よかった~、大倉も来れたらよかったんやけどねえ、と口にする。彼も酔っているのだろうか、どこかとろんとした表情だ。

しばしの沈黙。それを打ち破ったのは、私の携帯の着信音だった。

私は着信相手の名前を視界の端で確認し、丸山さんにごめんなさい、ちょっと電話に。と残して店を出た。夜風が、酔いで火照った頬に心地いい。

電話の相手は、付き合って5年になる彼氏だった。仕事終わりだろうか?そんなことを考えつつ電話に出ると、

『◯◯、俺たちもう終わりにしよう。』

突然、思いもよらない言葉が突きつけられた。

何も言えなかった。

結婚を誓い合っていた相手だ。

待ってよ、どうしてなの、何があったの。いくら聞いても、駄目だった。ごめん。もう君と会うつもりはないんだ。それだけ残して、電話は切られた。

 

私はその場に座り込んだ。悲しいのか、怒っているのか、自分でもわけが分からなくて、それでも不思議と涙はぽろぽろとこぼれた。

どれくらいそうしていただろうか。私を現実に引き戻したのは、

「◯◯ちゃん、どうしたん」

丸山さんの、柔らかな関西弁だった。

彼の心配そうな目にうつる自分の姿に、また涙が出てきた。

「…とりあえず、中入ろか。こんなとこに男と二人でおったらあかん。」

事態に動じず、落ち着き払ったその声に我に返る。私は差し出された丸山さんの手を借りてやっとの思いで立ち上がり、店に戻った。

その後のことは、断片的にしか覚えていない。丸山さんが呼んでくれたであろうタクシーに乗り込み、虚ろなまま家に帰った。ベッドに飛び込み、またわんわん泣いた。そんな私を現実へと引き戻したのは、寝る前に入った一本のメール。

『何があったのか分からないけど、元気出して!おやすみ。』

短い文章の最後に、渾身の変顔をした丸山さんの自撮りが添付されていた。

メールだと関西弁じゃないんだ。そんなことを考えて、少しだけ笑えた。なんて、不器用で、元気印の彼らしい慰め方だろうか。

そして泣き疲れた私は、いつの間にか眠りに落ちたのだった。

 

翌日、なんとか午前中の仕事をこなした私は、丸山さんにお礼もお詫びもできていないことに気がついた。そういえば、食事代も払っていない。

昨日は、ありがとうございました。とても楽しかったです。ちょっとショックな事があって、迷惑をお掛けしてしまいすみませんでした。お鍋もご馳走になってしまって…本当にごめんなさい。丸山さんの面白い写真を見て、少しだけ元気になれました。

私はそれだけ打って、丸山さんへ送った。返信が来たのは、その日の夜遅くになってからだった。

『いいんだよ~!俺が誘ったんだから。写真、好評で何より。第二弾送ります。ちゃんと笑っていてね』

添付されていたのはまた、すごい顔の丸山さんの写真だった。しかし前回のそれとはちょっと違う。忙しい中わざわざ撮って、送ってくれたのだろうか。本当に優しくて、表情筋が豊かな人だなあ。私はまた笑った。

 

そして私は気づいた。そういえば、今日、初めて笑った気がする。送られてきた丸山さんの写真を見たときだけ、ふっと沈んだ心が軽くなるのだ。

ありがとうございます。また笑顔になれました。第三弾も待ってます。

半分本気で、半分冗談で送ったつもりだった。しかし翌日の遅くになって、きちんと彼からの返信は来た。

『第三弾。笑ってる?』

今回はまさかの真顔の写真で、思わず吹き出す。本当に優しい人。こうして私と丸山さんの奇妙なメールのやりとりは始まった。

ありがとう。丸ちゃんさんって呼んでもいいですか?

丸ちゃんさんって、なんやねん!丸ちゃんでいいよ!

丸ちゃん。変な顔の写真ください。

ほい!般若風。

毎日重ねる、たった1回のやり取り。それが毎日の救いだった。泣きそうなとき、夜眠るとき、夢で彼に会ってしまったとき。変な顔をした丸山さんの写真を見ることで、少しずつ彼氏だった人の面影が薄くなって、反比例するみたいに、丸山さんの存在が大きくなっていくのを感じていた。

 

そうして、2ヶ月がたった。

好きになっちゃいけない。そう思いながらも、もう止められなかった。

都合がいいのは、痛いほどにわかっていた。たまたま男に捨てられて、たまたまその場に居合わせた男性に優しくされて、好きに、なってしまうなんて。

でも、それくらいに、丸山さんの優しさは私の心に染み渡った。

 

大丈夫。食事に誘うだけ。そして、自分の気持ちを確かめるだけ。

―丸ちゃん。電話してもいいですか。

自分に言い聞かせて、震える手で送ったメッセージには、珍しくすぐに既読がついた。

『何かあった?俺ももう寝るところだから、構わないよ。』

私はやっとの思いで発信ボタンを押した。

 

『もしもし?』

食事に行ったあの日から、実に2ヶ月ぶりに聞くその声に、心臓が跳ねるのを感じる。ああ、彼が紡ぐのはこんなに甘くて優しい声だっただろうか。

ごめんなさい。遅くに。どうしても。丸ちゃんの声が聞きたくて。

そういえば、彼のあだ名を口にしたのは、初めてだった。

『ふうん、俺の声が??じゃあ俺、なんか喋らんとあかんなあ。何の話が聴きたい?』

ふざけたみたいに言う彼。私は一瞬躊躇って、でも気がついた時には、もう夢中で言葉にしていた。

丸ちゃん、彼女はいるんですか。

『……』

しばらく続いた沈黙。ドキドキしながら彼の言葉を待つと、1つ息をついた音のあと、

『おらんよ』

という、少しだけトーンの低い声を聞いた。

聞いたことのない彼の声に、狼狽える。

そうなんですね。やっぱりジャニーズだし、そういうの厳しいんですかね。変なこと聞いて、ごめんなさい。あ、でしたら、よかったら今度食事でも

『◯◯ちゃん』

慌てて話す私を遮る、彼の落ちついた声。

『俺を好きになったらあかん』

ズン、と、心臓が重くなったような感覚を覚えた。

え、と、情けない声が漏れた。

『惚れさせてしまったのなら、ごめん。でも俺には、◯◯ちゃんを苦しませることしかできひんから』

どうして、…どうしてそんなことを言うんですか。私じゃ、資格がないからですか。

『ううん。◯◯ちゃんは、綺麗やし、優しいし、めっちゃ素敵な女性やと思う』

じゃあ、

『でも、俺は、恋人を作る気はないよ。』

欲しいと、思わないんですか。寂しいって、思わないんですか。

『思うよ。俺かて一応男やから。でもね、』

じゃあ、どうして。そんなに自分を苦しませるようなことを言うの。

『…うん、分かった。ごめん。○○さん、もう俺に連絡したらあかん』

そんな、

『俺、いつもこうやねん…ほんまにごめんな。俺が悪かった』

 

その言葉を最後に、電話は切られた。私は呆然として、ベッドサイドに座ったまま動けなかった。

切れた通話の画面を眺めたまま、涙も出なかった。

 

それから数日後。

「◯◯、これ、関ジャニ∞の丸山さんのマネージャーがお前宛てに持ってきたんだけど。…お前、接点あったのか?」

マネージャーから手渡されたのは、一通の封筒だった。私ははやる胸を悟られまいと、なんてことない顔でそれを受け取った。

家に帰って封を切ると、そこに入っていたのは、2枚のチケットだった。

 

「いや~、まさか丸山さんが招待してくれるなんてね!でも、ジャニーズのコンサートなんて初めてだから本当に楽しみ!」

招待されたのは、所謂関係者席というやつである。☓☓は、興奮しつつ私の横の席に座った。いつの間にこしらえたのか、手にはペンライトなんてものまで握られている。

間もなく客席が暗くなり、割れんばかりの歓声を浴びながら彼らが現れた。

そこにあったのは、私の知らない彼らの、…そして、丸山さんの姿だった。

華やかな衣装を身にまとい、歌い、踊る、その姿に、私は釘付けになっていた。

 

「どうも皆さんこんばんは~!!丸山隆平で~す!!!」

彼の言葉に、何万という女の子から、歓声が上がる。

「来てくれてありがとう。今日は俺ととびっきり愛し合おうね~!」

何万人の「好き」の気持ちを一身に浴びて輝く彼は、私の知らない姿だった。

……いや、きっと、何一つ変わらないのだ。そこにあるのは、私が見てきた彼と、何ら変わらない姿なのだ。

ステージで手を振る丸山さんを眺めながら、私は、唐突に理解した。

 

―でも、俺は、恋人を作る気はないよ。

―欲しいと、思わないんですか。寂しいって、思わないんですか。

―思うよ。俺かて一応男やから。でもね…

 

あの日、彼が電話の向こうで飲み込んだ言葉を。

 

「丸ちゃん、丸ちゃーん!!」

 

私は、夢中で叫んで思い切り手を振った。けれど彼の目がこちらに向けられることはなかった。

 

…でもね、俺はアイドルやから。

 

色とりどりのうちわに書かれた、女の子たちの彼への想い。そのひとつひとつに丁寧に答えようとするその姿。私が彼に向けた想いは、彼にとってそのひとつと何ら変わらないものだったのかも知れない。

彼はきっと、世界中の誰に対しても、私にしたみたいに優しいのだ。

そして、私にしたみたいに、残酷なのだ。

それが、彼の『アイドル』としての流儀。仕事に対する流儀。

自分の人生を捧げてまで、彼はアイドルで居続けるのだ。

何を、特別な立場にいる気になっていたのだろう。

 

私が好きになった人は、どこまでも優しくて、そして、どこまでも仕事熱心な人だった。

 

 

「◯◯、泣いてる!?どうしたの!?泣くほど感動した!?」

 

私は、急に恥ずかしくなった。

女優という選ばれた職業でいることに、いつの間にか慣れきってしまっていたのかもしれない。

私も、もう一度夢中になりたい。自分の全てを捧げて、女優でありたい。なれるだろうか。あんなふうに。

丸山さんは、忘れかけた芸能人としての私の誇りを、思い出させてくれた。

好きになれせてすらくれなかった。でも、それだけで、有意義な恋だったと思う。

 

 

「みんな、愛してるよ~♡」

 

手の届かない世界で輝く彼を見ながら、私は手のひらを握りしめた。

 

 

 

 

以上です!!!!!!いかがでしたでしょうか。

なっっっっっっが!!!!!!

悲しいですね!!!!!でも、クリスマスを前にして一人パソコンに向かって1万字もこんなものを書いている私の気持ちを思ったら、大したことないですね!!!!!

 

ちなみに、本当に自担にふられる妄想をするジャニオタが少ないと思いきれず、Twitterでアンケートを取ってみました。

タイムラインで見かける人たち、みんな大概性癖おかしいからきっと同志もいるだろ〜!と思ったのですが

 

 

うん。自担にふられる妄想をするジャニオタは、やっぱり圧倒的少数派なようでした。まあ、たった1時間で取ったアンケートなので、あまり参考にはならないかも知れませんが…。

35%のみんな、クリスマスは思い思いの失恋ソングを持ち寄って自担変換して号泣する会開こうな。

そして65%のみんなは、どうか我々のように闇に身を落とすことなく、これからも日だまりで幸せに暮らしてください。でも、これだけは言っておきます。しこたまふられた文章を書くと、付き合ってもないのに丸山くんの写真を見ると今しがた別れてきた彼氏を見る彼女のような気持ちになって、元カノ気分を味わえることがわかったのでおすすめです。私は雰囲気に酔ってそっと涙を拭いながらデスクの写真立てを倒すなどしました。

 

他にも自担にふられる妄想を文章にした方が万が一にもいらっしゃったら、ぜひ私までお知らせください。

元カノからは以上です。

 

それでは、光のジャニオタのみなさんも、闇のジャニオタのみなさんも、よいお年をお迎えください~~~!!!

 

初めて関ジャニ∞のコンサートに行ってきました

私にとって、初めてとなる関ジャニ∞のコンサートが終わりました。

いや、正確に言うと、私の中でのオーラスは昨年末に迎えていたのですが、なんだかまあいろいろと考えるところもあり、グズグズしている間にこんな日付になっていました。

 

コンサートが始まる前に、私はこんな記事という名のポエムを書きました。

 

stargazer32.hatenablog.com

 

この記事という名のポエムを要約すると、アイドルのコンサートはアルバムの答え合わせであり、アイドルのアルバムはコンサートを始めとするいろんなメディアが集結して初めて完成する(と、私は思う)という話です。

だから、本当はここで、答え合わせを終えた感想を書こうと思っていたんです。でも、それどころではないイベントが私の中であったのも事実で、ちょっとその件について吐き出しておかないととてもアルバムの分析なんて出来る気がしないので、先にそっちについて書かせてください。

 

ライブが終わってから今までグズグズ考えていた、答え合わせどころではないイベント、それはまさにそうです、『関ジャニ∞を初めて生で見た』ということです。

私のコンサート初日は12月17日、東京ドーム公演でした。

年末バタバタしていたり、大学の卒業論文に追われたりでなかなか時間が取れず、ちょっと間が空きすぎてしまった気がするのでもう今更書かなくてもいいかな、って少しだけ思ったのですが、この時の感覚を記録に残しておかないのはのちのオタクライフを考えるとあまりにも勿体無い気がするので、あの日の衝撃を振り返りながらなんとなく書き起こしてみようと思います。

過ぎてしまったその日の感覚に一番近づけるのはその日のTwitterかなと思って見返してみました。

 

 

終わって第一声、こんな感じです。

いや、しにたいってなんだよ、って感じですが、本当にしにたいくらい悲しかったんです。

 

ここからは、当日、12月17日、東京ドーム公演での話をします。

嫌な予感は会場に入ってすぐにやって来ました。席に着いて、会場を見渡した瞬間、とてつもない不安とそれに伴う動悸が襲ってきました。

尋常じゃない胸の高鳴りを、きっとこれはワクワクがもたらすドキドキだな!?だなんて笑い飛ばしながら前日の夜中まで仕込んだうちわを取り出して、ペンライトを点灯させて、タオルを首にかけてみたりなんてして、一緒に来た友人と談笑していました。だって、当日一緒に入った3人も私と同じくコンサート初参戦の初心者マークむき出しの方たちで、みんな揃って「楽しみだねー!」って、嬉しそうに話してるんですから。私だけ帰りたいだなんて、そんなこと思うはずがない。

しかしその嫌な予感は、開演前の映像、そうですアメコミ風のあれです、が流れ始めた頃に確信へと変わりました。

やたらとハイテンションなナレーションの声に「準備はできたかなー!?ここからは超特急で駆け抜けるぞー!!」(うろ覚えです)みたいなことを告げられ、会場のボルテージが最高潮に達したであろう瞬間。

帰りたい。私は心の底からそう思ったのです。

  

 

東京ドームに響き渡るエイトコール、楽しそうにそれを繰り返す友人をどこか遠くに感じながら、私は一人震えながら半泣きでこんなツイートを打ち、どうにかしてここから逃げ出せないかとそればかり考えていました。

この幕を隔てた向こうに関ジャニ∞がいる。関ジャニ∞が、超特急で駆け抜ける????そんなことがあってたまるか?????

しかし残酷にも(?)客電は落ち、モニターは無慈悲にも(?)オープニング映像を映し出します。

もう既に泣いていました。ステージ裏の円陣の光景をリアルタイムで映し出すっていう、粋すぎて目眩がするくらい粋な演出がリアルタイムであることにも気づけないくらいには泣いていました。

私がやめてお願い来ないでって泣きながら必死に繰り返しているにも関わらず、冷酷にも(??)キングオブ男!のイントロがかかり始めて、煙の向こうに、会場のみんなが待ちに待った彼らが現れました。

現実を拒もうと動かない目を無理矢理凝らして、ほとんど停止している頭で7人を見渡して、丸山くんの姿を認識した瞬間の衝撃。その衝撃たるや……なんとかして描写しようと思ったのですが、驚くほどに何も覚えていません。確実に言えるのは、恐らく今までの人生で確実に最も死の世界に近付いた瞬間でした。

もう涙で何も見えませんでした。見えているんだけど、脳が、見ることを、理解することを拒んでいました。隣の友人が「大丈夫!?」って声をかけてくれたような気もしますがお察しの通り全然大丈夫じゃありませんでした。

 

 

二日後にその状況を振り返ったツイートが残っていましたので引用しておきます。今でもあの日ほどではないにせよ、キングオブ男を聴くと恐ろしい動悸が戻ってきます。前にアイドルの楽曲はライブで情報が更新されるなんてポエムを書いた気がしますが、まさにそれです。キングオブ男、今まではこんなに不安な気持ちになる曲じゃなかった…。

頭が真っ白になったまま1曲目が終わり、2曲目が私の一番好きなへそ曲がりだということが分かった瞬間また意識がなくなりました。よく知る笑顔でこちらに手を振る丸山くんを呆然としながら見てまた泣いて、そんなこんなで意識がはっきりしてきたのはがむしゃらが終わった頃だった気がします。

本当に楽しくて、夢のような時間でした。

 

何がそんなに嫌で、何がそんなに悲しくて泣いていたのか。それはもう一言に尽きます。人生でどうやっても1回しか訪れない、『生の関ジャニ∞を初めて拝む』というイベントを終えてしまったことです。

あの日、キングオブ男が連れてきた光景は、あまりにも現実味がない、紛うことなき現実でした。今までテレビの向こうに、雑誌の紙面の向こうに眺めていた人達は、間違いなくその場に実在していました。割れんばかりの歓声とスポットライトを浴びて、そこに立っていました。

そんなの当たり前のことです。私が知らないだけで、彼らは私と同じ世界を、違った生き方で生きていて、その日がコンサートだからたまたま全員が東京ドームに集まって、私がお金を払ったからそこに入ることを許されただけです。

でもどこかで私は、彼らが実在していることを否定したかったのかも知れません。知りたくなかった。いつまでも違う世界の人でいてほしかった。

一方で、実在するアイドルを好きになった時点で、いずれは来るであろう「コンサートで拝む」というイベントがやって来ることを感じていましたし、それを心待ちにしている自分もいました。それも間違いない事実です。

結局のところ私は、自覚していたよりもずっと、コンサートに行くというイベントに対して大きな期待と、同じくらいの恐怖を抱えていたんだと思います。そしてその整理がつく前に(まあ多分、どれだけ整理しようとしても整理できるものじゃなかったのでしょうけれど)、あっさりその瞬間を迎えてしまった。煙の向こうに丸山くんは、関ジャニ∞は現れてしまった。

間違いなくあの光景を見た時は、関ジャニ∞のファンになってから、一度もないくらいに、絶頂の瞬間でした。そして同時に、私の中で関ジャニ∞のファンとしての第一章が終わって、新しいページが継ぎ足された瞬間でした。

この瞬間は、もうどう足掻いても二度と訪れません。あろうことかあの丸山くんが煙の向こうに実在していて、何度も何度もDVDで拝んだのと同じ声で、同じ顔で、歌い、踊っているのです。

その光景を見てしまったことが、悲しかった。こんなに楽しい気持ちはもう二度と訪れないのです。一生分の楽しいと嬉しいが、ほんの一瞬に訪れて終わってしまった。

私はもう、丸山くんが実在していることを知らない世界には戻れないのです。

 

私は、好きの気持ちには、深さや重さとはまた別に、鮮度があるとも思っています。 きっと人生で今にしか感じられない、イキイキとした好きの気持ちがあると思うのです。

丸山隆平さんへのラブレター - 旅の途中

 

前にも別の記事で言ったのですが、私は好きの気持ちには大きさだけではなく鮮度があると思っています。焼き魚を刺し身に戻すみたいに、鮮度をもとに戻すことなんて後からできることではありません。言うなればあの瞬間、間違いなく新鮮だった私という名の刺し身には火が入りました。塩で揉まれてこんがり焼き上がってしまいました。もうわさびの出番はありません、これからは隣に醤油と大根おろしが添えられるのです。

好きの気持ちの鮮度が落ちていくのは本当に悲しいことです。今までいくつもの何かを好きになって、そして鮮度を失ったそれに愛想を尽かしてきたからわかります。そのまだ見ぬ瞬間の恐怖と、それに一歩近付いてしまった事実の悲しさに涙が出ました。見なかったことにしたかった。それができないなら、そうなりかけてしまった時のために、この鮮度100%の好きの気持ちを、瓶に詰めて取っておきたい。

そんなことを考えて、泣きながら笑ってコンサートは終わりました。

この羅生門に出てくる老婆のうわ言みたいなツイートたちは、その日の帰りに泣きながら叩きつけたと思わしきものです。参考程度に載せておきます。

 

そして今、私は丸山くんが実在することを知っている世界を生きています。初日のコンサートが終わった後こそ絶望に駆られましたが、2回、3回と参戦して、ようやくそれを受け入れられるようになりました。

確かに私の中で、あの瞬間を境に第一章は終わりました。けれど第二章が待っていることに変わりはありません。刺し身はすっかり焼き上がってしまいましたが、もしかしたら刺し身だった頃には見えない景色があるかも知れないし、焼き魚がほぐされて釜飯に変わる日だって来るかも知れません。そもそも生魚が苦手な私は刺し身より焼き魚のほうが好きでした。…果たして私は何の話をしているんだ?

まあともかく、自分の中での第一章の終わりを受け入れて、このブログを書いています。終わりを受け入れてしまった今、この行為に意味なんて無いのかも知れませんが、多分、先述した通り、私はこの気持ちを取っておきたいんだと思います。このおたくライフが第何章まで続くのかはわからないけれど、いつか終章が見えてきた時に、もう一回この気持ちを思い出せるように。終章を書き終える時に、こんなこともあったな、メチャメチャ楽しかったな!って、本を閉じられるように。

 

めちゃくちゃ楽しいジャニオタライフなのに、それが終わる日のことばかり考えてしまいます。いつも私はそうです。楽しみにしていた映画だって始まる前の予告編が一番楽しいし、バンドのライブだって客電が落ちた瞬間が絶頂だって、自分に言い聞かせているみたいなところがあります。始まりは終わりの始まりでもありますから。

まあともかく今は、まだ見ぬ終わりの日を思って悲しくなるくらいには、丸山くんが、関ジャニ∞が好きなんだなって思わされずにはいられません。

 

物凄く回りくどい話になりましたが、要するに初めてのコンサート、楽しすぎて悲しくなるくらいに楽しんだんだよ!っていう報告です。もうそろそろ関ジャニ∞はいいかな~って言ってる(かも知れない)未来の自分に、「ちょっと待てよー!あんなに楽しかったの、忘れたのかー!?」って今の気持ちを届けられるように、ここに残しておこうと思った次第でありました。

答え合わせの日が近い

私の中で、アイドルのコンサートは「答え合わせ」です。

アルバムを聴いて、このアルバムの主題は結局どうだったのかな、こういうことが伝えたかったのかな、だなんてあれこれ考えて、その解答が本人たちによってドーーンと突きつけられるものだと思っています。

長年バンドとかアーティストとか、「音楽」で「音楽」を完結させる人達の世界で生きていた私にとって、これは非常に興味深くて面白いところです。彼らの世界では、音楽以外のもので音楽を完成させようとすると目くじらを立てられるみたいな部分がありますから。(ちょっと言い過ぎな気もしますが、顔が綺麗なバンドマンが、「顔で売ってるだろ!」って叩かれるみたいなものです。)

かたや、アイドルにとって「音楽」は「アイドル」を完結させるためのひとつの道具にすぎません。とにかくなんでも許される。音楽を、ひいてはアイドルを盛り上げることに繋がる要素は全部織り込みます。何をしても許されるのです。だって彼らは音楽家ではなく、アイドルですから。PV、音楽番組、雑誌のインタビュー…あらゆるメディアの力を借りて作り上げられた楽曲やアルバムのイメージが、最後の最後に全て集約されるのがコンサートだと思うのです。

 

私はバンドのライブにはもう数えきれないくらい行きました。バンドのライブって、純粋に音楽を楽しみに行くんです。本人たちの奏でる音に酔いしれて、噛みしめて…でもそれで、楽曲やアルバムの何かが上書きされることはありません。「ああ、やっぱりこの曲が好きだ」とか、「これってこんなにいい曲だったのか」って気付くことはあれど、ライブによって楽曲が書き換えられることは決してありません。どんなに素敵な演奏も演出も、完成された音楽に付け入る隙は全く無いのです。

しかしアイドルの楽曲はコンサートがあって初めて完結するものだと思います。実際の答え合わせが設けられるまで、いくら噛み砕いても自分の中でどこかふわふわしていて、コンサートの演出を拝んで初めてストンと腑に落ちる。そのあまりにも単純明快な答え合わせに、どんなに自分の中でぱっとしない楽曲も、どんなに好きな楽曲も、コンサートでいかようにも書き換えられてしまうのです。

そういう意味では音楽家の音楽とは全く異なる世界だと感じます。勿論、どっちが優れていてどっちが劣っているって話ではありません。どっちの形も私にとっては魅力的で、大好きなのです。

 

(…とは言ったものの、私はまだ関ジャニ∞のファンになって浅いので、きちんとアルバムを聴いてからコンサートを拝むという順序を踏むのは初めてなのですが。)

 

だから私は、コンサートDVDがきっかけで大好きになったアルバムも、反対にコンサートDVDがきっかけで好きでなくなってしまったアルバムもあります。大げさでなく、私にとってコンサート映像ってそれくらいに大きくて、見る前と見た後のアルバムの印象はまるで違ったりします。

アイドルの「今」を切り抜いたのがアルバムだと思います。関ジャニ∞の今、「元気が出るCD!!」とは一体なんだったのか、彼らに突きつけられる日がもうすぐ来ます。楽しみなようで、恐ろしくもあります。何故って、私はこのアルバムが大好きだからです。何度も何度も聴いて、噛みしめて、自分なりに解釈して。この大好きの気持ちをもっと大きくしてくれるのか、はたまたその反対の結果になってしまうのか…。自分の目で拝むのがめちゃめちゃに怖いです。まあその前に、実在する関ジャニ∞を自分の目で拝むのが怖いのですが……。

 

言うなれば今はそう、手応えのあった模試の結果発表を待ってるような気持ちです。あ~~早く知りたい!でも一生知りたくない!願わくばこのワクワクとソワソワが永遠に続いてくれ!でも早く答えを教えてくれ!

丸山隆平さんへのラブレター

丸山隆平さん、32歳のお誕生日おめでとうございます。

私が貴方を好きになって、初めて迎える貴方のお誕生日です。

まだ好きになってから1年も経っていない私に貴方の何かを綴ることなんてできるとは思いません。

でも、私は、好きの気持ちには、深さや重さとはまた別に、鮮度があるとも思っています。

きっと人生で今にしか感じられない、イキイキとした好きの気持ちがあると思うのです。

だから今の気持ちをこの記念すべき日に、文字にしておこうと思います。

  

24日のベストアーティストで、KAT-TUN田口くんの脱退が告げられました。

田口くんは、丸山くんを好きになって、ジャニーズに興味を持って、関ジャニ∞の次に好きになったアイドルでした。

色々思うことはあります。でも1番痛感しているのは、アイドルが明日もアイドルでいてくれる保証なんてどこにもないこと、そして、私が明日もアイドルを好きでいる保証もどこにもないということ。私はあの瞬間を目撃して、この現実を無慈悲に叩きつけられた気持ちになりました。

もしかしたら明日、応援しているアイドルがアイドルでなくなってしまうかも知れない。もしかしたら明日、私が応援しているアイドルに愛想を尽かしてしまうかも知れない。

ファンとアイドルって、それくらいに温度のない関係なのかもしれません。

それでも、今この瞬間の貴方は、アイドルとして生きてくれています。今この瞬間の私は、貴方が好きです。

当たり前が当たり前じゃないことを知らされて、当たり前に感謝できる今。

そんな瞬間に、図らずも、貴方のお誕生日を迎えます。

丸山隆平くんがアイドルを生業としてくれていて、私がそれを大好きだと思える当たり前について、綴ってみようと思います。

 

* * *

 

関ジャニ∞が好き、と言うと、「そうなんだ!誰が好きなの?」と言われます。そこで丸山くんが好き、と言うと、「丸山くんなんだ?ちょっと変わってるよね?なんで?」という反応をされることがあります。

来やがったぜ、いつも私はそう思います。

何故ならもう、言いたいことは山程あるのに、頭の中はゴチャゴチャで、語彙力のない私はいつも「…背が高くて脚が長いからでしゅ……」とかいうゴミみたいな返答しかできないからです。

でも、それくらいに、丸山くんの魅力って、伝えづらい部分があるんですよね。

まあ、単に私が考え過ぎなだけな気がしますが。

  

 アイドルの仕事って、なんでしょうか。

よく、「アイドルは夢を売る仕事」だなんて言われます。しかし、このアイドル戦国時代において、ただステージの上できれいなお顔の人がキラキラの衣装をまとってキラキラの夢や希望や愛や恋を歌っているだけじゃ、世間は飽き飽きしてしまっているのが本当のところでしょう。

私は、アイドルに関しては超がつくほど駆け出しの身ですので、全くもって詳しくありません。だから個人的に思ったことしか書けませんが、今の世の中、アイドルには何かしらの「+α」が要求されている気がします。そしてその「+α」がアイデンティティとなり、セールスポイントとなり、アイドル活動の基盤になる。そんな印象を受けます。

そういう意味で、関ジャニ∞は「元祖異端アイドル」とでも言えるのかも知れません。

アイドルなのに関西弁。アイドルなのに面白い。アイドルなのにアイドルじゃない。関ジャニ∞にとっての「+α」とは、「アイドルらしくないこと」。彼らは、そうやって脚光を浴びたのだと思います。少なくとも、ファンになる前の私は、関ジャニ∞にこの、「アイドルなのにアイドルじゃない」を、期待していた気がします。

関ジャニ∞は、そんなふうにアイドルでありながら、アイドルから遠ざかることを求められてきました。

そんな環境で、誰よりもアイドルという職業に真面目なのが、丸山くんだと思うのです。

 

「夢を売る」という仕事に対して、彼ほど真摯で真面目なアイドルを私は知りません。(勿論今のところ、ですけれども。)

きっと私は、丸山くんの、そういうところが大好きで仕方ないのだと思います。

えっ、あのスベリ芸の丸山のどの辺が?って、普通の人なら思うでしょう。けれど残念ながらもう普通の人ではなくなってしまった私は、その、スベリ芸の丸山こそ、丸山くんがアイドルという職業に、関ジャニ∞というグループに、真摯に向き合い続けた結果だと思っています。

丸山くんの、底抜けに明るく元気でよくスベってる人っていう、世間のイメージは、丸山くんが丸山くんなりに、関ジャニ∞であるために生み出したアイドル像だと思うのです。

お察しの通り丸山くんはあんまり面白くありません。(好きだよ♡)横山くんや村上くんのように恵まれたトーク力があるわけでもありません。錦戸くんや大倉くんのように、一目で女の子を虜にするルックスを持っているわけでもありません。

それでも、丸山くんが関ジャニ∞の一員として世間一般にあるイメージを持たれているのは、とにかく彼が、関ジャニ∞というアイドルグループの一員であることを受け止めて、アイドルから遠ざかったアイドル、「異端アイドル」になることを追求し続けた結果だと思っています。

渋谷くんや村上くんには、関ジャニ∞になるべくしてジャニーズに入った人という印象を受けるのですが、丸山くんに関しては一切その印象を受けないのです。彼は、関ジャニ∞という場所に置かれた自分を見つめて、作り変えて、関ジャニ∞にしていったのではないでしょうか。

だからもしもの話ですけれども、丸山隆平というアイドルは、関ジャニ∞というグループに所属していなければ、全く違う人格だっただろうなと思う時があるのです。正統派のキラキラかっこいいグループであれば、正統派のキラキラアイドルに、自分自身を作り上げていっただろうな、と。

そういう意味で、「偶像」の意味を持つ、アイドルという職業に、これほどまでに真面目で真摯に向き合う人を、私は他に知りません。

ここまではまあ、私の妄想に過ぎないのかも知れませんが、私はとにかく丸山くんがアイドルという職業に手を抜いている瞬間を見たことがありません。メイキングで振り付けを覚えられなくて発狂しているところを抜かれはしたものの、それは一生懸命苦手に手を抜かず取り組んでいる何よりもの証拠です。実際、コンサートではばっちり仕上げてきているのですから。

ワイプに映るだけの番組でも自分の顔が抜かれると何かしらしてみせるところ。手を振るだけでいいコンサートで、うんざりするくらいの人ひとりひとりを見て伝わるかどうかも分からない細かい返事をしてくれるところ。歌によって声質を少しずつ変えてみせるところ。ダンスをしながら表情を作るところ。メイキングでもたくさんカメラに映ろうとしてくれるところ。挙げ出したら、きりがありません。

丸山くんは、アイドルというお仕事にとにかく真面目なんです。

アイドルというお仕事に不真面目になることを求められる関ジャニ∞というグループに身を置きながら。

関ジャニ∞の一員として、底抜けに明るいスベり芸アイドルでありながら、アイドルとして、「夢を売る」仕事にも手を抜かない。

それが、私が丸山くんから受ける、「アイドル像」です。

 

私はこの、アイドル像にとても惹かれています。丸山くんの見せてくれるアイドルとしての姿を、ずっと見ていたい。

しかし悲しいかな、世の中はそんなに甘くありません。

アイドルのアイドルでない姿に対して、「知りたい」オタクと、「知りたくない」オタクがいるとしたら、私は確実に後者です。

丸山くんが「ほらほらみんな見て見て!」って言ったことか、「もぉ~仕方ないな!ちょっとだけだよ♡」って見せてくれたこと以外は目にしたくないのです。なにせ、アイドルとは偶像。作られた、崇拝の対象なのですから。

でも、残酷なことに世の中は「知りたくない」オタクが生きにくいようにできています。ネットで検索しようものならすぐに見たくないアイドルのアイドルでない時の姿があっという間にドーンと出てくるのですから。

…正直、この手の話は私も好きではないのであまり触れたくはないのですが、語彙力のない私には他に上手い喩えができないので敢えて触れます。

丸山くんは、そういう、「知りたくない」アイドルの姿を我々オタクに残酷に叩きつけてくる、週刊誌の類にすっぱ抜かれたみたいなことが、ほとんどありません。

誤解しないで頂きたいのですが、私は別にすっぱ抜かれたことがあるアイドルが嫌いなわけでも、すっぱ抜かれないアイドルが好きなわけでもありません。そもそも、アイドルは恋愛禁止という文化自体に疑問を持っているので、もっとアイドルも気軽に恋愛をして、結婚をして、という世の中になればいいのにな、なんて思ったりもしています。嫌いだとすればそれは、それがまるで悪いことであるかのように掲げてきて、それでお金儲けをする連中です。

…話が逸れそうなので元に戻しますが、とにかく、この世界に同じ人類として存在する以上、アイドルがアイドルでない瞬間を我々オタクが知らない世界で過ごしているのは当たり前のことです。

そしてそれを「知らない」で済ますことは、とても難しいことなのです。

しかし、丸山くんは、この「知りたくない」というオタクの贅沢な欲求に答えてくれるのです。

私はこの、「見せないものは見せない」という一面にも、丸山隆平というアイドルがどれだけ真面目に「夢を売る仕事」に取り組んでいるかを伺うことができると思っています。

重ね重ねになりますが、私は別にすっぱ抜かれるアイドルを否定しているわけでも、すっぱ抜かれないアイドルを賞賛しているわけでもありません。だから勿論、丸山くんのすっぱ抜かれないところが好き、というわけでもありません。ただ、丸山隆平というブランドにおいて、すっぱ抜かれることがNGとされている事実が凄いと思ったまでです。

すっぱ抜かれるということは、勿論、プライベートでの姿を晒されるということ。アイドルでない時の姿を見せつけられるということ。

それは一部のオタクにとって、何よりも辛いことかも知れません。

丸山くんはそのオタクの「見たくない」というワガママな欲求を汲み取って、全力で隠してくれるのです。

別に、週刊誌の恋愛沙汰に限った話ではありません。だって、丸山くんは我々オタクより遥かに近くにいるメンバーにすら「私生活が謎」「プライベートとギャップがある」と言わせますよね。

これって、実は凄いことだと思うんです。

誰かに姿を見られる時は全力でみんなのマルちゃんを演出して、そうでない姿は一切隠す。

私はこの「マルちゃん」と「丸山隆平」の線引きが実に巧妙で、彼の魅力の1つだとも思うのです。

愉快で楽しいみんなの「マルちゃん」が、「おいでおいで、全部見せてあげるよ、僕は君だけのものだよ!」って両手を広げてくれるけれど、ある一点に踏み込もうとするとくるりと背中を向けて「ここから先はダメだよ♡」って、絶対に見せてくれなくなるみたいな、徹底された「見せる」と「見せない」の境界線。

時々我々がうっかり目にする「丸山隆平」としての一面にゾッとするのは、まさにこの線引きが徹底されているからなのです。

「マルちゃん」が「丸山隆平」になった後の、メンバーさえも知らない世界。そこで彼が何をしていても、私は一向に構いません。知りたくもありませんし興味もありません。こんなことを言うとマルちゃんの一面しか好きじゃないみたいですけど、私はそうやって自分なりのアイドル像を演出する丸山隆平さんが大好きなんです。

だって私が好きなのは、「アイドル」であり「偶像」なのですから。

丸山くんはそんなふうに、オタクの「見たい」に全力で答えて、オタクの「見たくない」を全力で隠します。

「夢を売る仕事」に、「そうでないものは隠す」ということが含まれるのかどうかは私にはわかりません。でも、少なくとも丸山くんにとっては、それも任務の一つなのです。

「夢を売る仕事」のスペシャリストですから。

 

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少し話は変わりますが、メディアで「いい人」キャラを貫き通すのって、実は物凄く疲れることだと思うんですよね。

誰とは言いませんしその人を否定しているわけでも全くありませんが、性格が悪いキャラで通っていたり、女の子とスキャンダルがひっきりなしのキャラで通っていたりするアイドルはたくさんいます。

でも、オタクって夢見がちなくせに変なとこで冷静ですから、意外とそういうのって許せちゃうものなんです。「ああ、またか。仕方ないなあ」の1言で済まされちゃったりするし、だからといってその人がアイドルとして魅力的なことに変わりはないのですから。

かたや、「いい人」キャラで貫くのは非常に難しいです。

極論、ジャイアンがいいことをすれば物凄くいい人に見えるけど、しずかちゃんが悪いことをすれば物凄く悪い人に見えるっていう話です。

「いい人」であろうとする限り、アイドルであるときもそうでないときも、細心の注意を払ってブランドに傷がつかないよう努めなければなりません。

だから私は、これは丸山くんに限らずの話ですが、「いい人」というイメージが浸透しているアイドルは本当に凄いなあと思います。そして同時に、たくさん苦労してきただろうなあとも。

 

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これだけ書いてきて、丸山くんがどれだけしんどい世界で20年近く生きてきたのか考えると、ちょっと私には信じられないものがあります。

そんなに頑張らなくてもいいのに、って、思いたくなるくらいに彼は夢を売る仕事に真面目で真摯なアイドルなのです。

今回丸山くんについて話すために、自然と対比して悪く言ったかのようになってしまったアイドルがいるかも知れません。けれど、本当に、そういった意図はないのです。色んなアイドルの形が許されるこの時代に、色んなアイドルが見せてくれる、色んなアイドル像があると思うからです。

特定の1人のアイドルを応援するって、そういうことだと思うのです。良い、悪いじゃなくて、その人の描くアイドル像が好きか、嫌いか。

私は、丸山くんが関ジャニ∞というグループの一員として築き上げた、アイドルという仕事に不真面目でありながら、誰よりも真面目であり続ける姿。たまたま、それが大好きなだけです。

…しかし、普通の人に「どうして丸山くんが好きなの?」と聞かれてこんな話をするわけにもいかないので、やっぱり私はこれからも「お顔がとんでもなく整ってるところでしゅ………」みたいなことしか言えないでしょうね。なんて返すのが正解なんですかね…。

 

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最早ラブレターなのか何なのかわからない文章になってしまいましたが、なんの話をしているのかわからなくなってきましたので、この辺にします。

 

最後になりますが、丸山隆平さん、32歳のお誕生日おめでとうございます。

今日1日、この1分1秒を、アイドルとして生きることを選んでくれてありがとう。

想像もつかないくらいしんどい世界に身をおきながら、まるでなんでもないみたいに私たちの前ではおちゃめで可愛いまるちゃんでいてくれて、ありがとう。

たくさんの夢をくれて、ありがとう。

関ジャニ∞は、永遠に少年でいることを許されたグループです。

そんなグループの中で、これからの貴方がどんなふうに歳を重ねていくのか、私は本当に楽しみです。

 

これからも貴方が心身ともに健やかで、「もうちょっとアイドルでいてやってもいいかな」って思えるくらいに楽しいことがたくさん訪れますように。

そしてどうか、ひだまりのように優しい貴方の住む世界が、貴方にとっても暖かいものでありますように。