旅の途中

オタクライフ備忘録!

初めて関ジャニ∞のコンサートに行ってきました

私にとって、初めてとなる関ジャニ∞のコンサートが終わりました。

いや、正確に言うと、私の中でのオーラスは昨年末に迎えていたのですが、なんだかまあいろいろと考えるところもあり、グズグズしている間にこんな日付になっていました。

 

コンサートが始まる前に、私はこんな記事という名のポエムを書きました。

 

stargazer32.hatenablog.com

 

この記事という名のポエムを要約すると、アイドルのコンサートはアルバムの答え合わせであり、アイドルのアルバムはコンサートを始めとするいろんなメディアが集結して初めて完成する(と、私は思う)という話です。

だから、本当はここで、答え合わせを終えた感想を書こうと思っていたんです。でも、それどころではないイベントが私の中であったのも事実で、ちょっとその件について吐き出しておかないととてもアルバムの分析なんて出来る気がしないので、先にそっちについて書かせてください。

 

ライブが終わってから今までグズグズ考えていた、答え合わせどころではないイベント、それはまさにそうです、『関ジャニ∞を初めて生で見た』ということです。

私のコンサート初日は12月17日、東京ドーム公演でした。

年末バタバタしていたり、大学の卒業論文に追われたりでなかなか時間が取れず、ちょっと間が空きすぎてしまった気がするのでもう今更書かなくてもいいかな、って少しだけ思ったのですが、この時の感覚を記録に残しておかないのはのちのオタクライフを考えるとあまりにも勿体無い気がするので、あの日の衝撃を振り返りながらなんとなく書き起こしてみようと思います。

過ぎてしまったその日の感覚に一番近づけるのはその日のTwitterかなと思って見返してみました。

 

 

終わって第一声、こんな感じです。

いや、しにたいってなんだよ、って感じですが、本当にしにたいくらい悲しかったんです。

 

ここからは、当日、12月17日、東京ドーム公演での話をします。

嫌な予感は会場に入ってすぐにやって来ました。席に着いて、会場を見渡した瞬間、とてつもない不安とそれに伴う動悸が襲ってきました。

尋常じゃない胸の高鳴りを、きっとこれはワクワクがもたらすドキドキだな!?だなんて笑い飛ばしながら前日の夜中まで仕込んだうちわを取り出して、ペンライトを点灯させて、タオルを首にかけてみたりなんてして、一緒に来た友人と談笑していました。だって、当日一緒に入った3人も私と同じくコンサート初参戦の初心者マークむき出しの方たちで、みんな揃って「楽しみだねー!」って、嬉しそうに話してるんですから。私だけ帰りたいだなんて、そんなこと思うはずがない。

しかしその嫌な予感は、開演前の映像、そうですアメコミ風のあれです、が流れ始めた頃に確信へと変わりました。

やたらとハイテンションなナレーションの声に「準備はできたかなー!?ここからは超特急で駆け抜けるぞー!!」(うろ覚えです)みたいなことを告げられ、会場のボルテージが最高潮に達したであろう瞬間。

帰りたい。私は心の底からそう思ったのです。

  

 

東京ドームに響き渡るエイトコール、楽しそうにそれを繰り返す友人をどこか遠くに感じながら、私は一人震えながら半泣きでこんなツイートを打ち、どうにかしてここから逃げ出せないかとそればかり考えていました。

この幕を隔てた向こうに関ジャニ∞がいる。関ジャニ∞が、超特急で駆け抜ける????そんなことがあってたまるか?????

しかし残酷にも(?)客電は落ち、モニターは無慈悲にも(?)オープニング映像を映し出します。

もう既に泣いていました。ステージ裏の円陣の光景をリアルタイムで映し出すっていう、粋すぎて目眩がするくらい粋な演出がリアルタイムであることにも気づけないくらいには泣いていました。

私がやめてお願い来ないでって泣きながら必死に繰り返しているにも関わらず、冷酷にも(??)キングオブ男!のイントロがかかり始めて、煙の向こうに、会場のみんなが待ちに待った彼らが現れました。

現実を拒もうと動かない目を無理矢理凝らして、ほとんど停止している頭で7人を見渡して、丸山くんの姿を認識した瞬間の衝撃。その衝撃たるや……なんとかして描写しようと思ったのですが、驚くほどに何も覚えていません。確実に言えるのは、恐らく今までの人生で確実に最も死の世界に近付いた瞬間でした。

もう涙で何も見えませんでした。見えているんだけど、脳が、見ることを、理解することを拒んでいました。隣の友人が「大丈夫!?」って声をかけてくれたような気もしますがお察しの通り全然大丈夫じゃありませんでした。

 

 

二日後にその状況を振り返ったツイートが残っていましたので引用しておきます。今でもあの日ほどではないにせよ、キングオブ男を聴くと恐ろしい動悸が戻ってきます。前にアイドルの楽曲はライブで情報が更新されるなんてポエムを書いた気がしますが、まさにそれです。キングオブ男、今まではこんなに不安な気持ちになる曲じゃなかった…。

頭が真っ白になったまま1曲目が終わり、2曲目が私の一番好きなへそ曲がりだということが分かった瞬間また意識がなくなりました。よく知る笑顔でこちらに手を振る丸山くんを呆然としながら見てまた泣いて、そんなこんなで意識がはっきりしてきたのはがむしゃらが終わった頃だった気がします。

本当に楽しくて、夢のような時間でした。

 

何がそんなに嫌で、何がそんなに悲しくて泣いていたのか。それはもう一言に尽きます。人生でどうやっても1回しか訪れない、『生の関ジャニ∞を初めて拝む』というイベントを終えてしまったことです。

あの日、キングオブ男が連れてきた光景は、あまりにも現実味がない、紛うことなき現実でした。今までテレビの向こうに、雑誌の紙面の向こうに眺めていた人達は、間違いなくその場に実在していました。割れんばかりの歓声とスポットライトを浴びて、そこに立っていました。

そんなの当たり前のことです。私が知らないだけで、彼らは私と同じ世界を、違った生き方で生きていて、その日がコンサートだからたまたま全員が東京ドームに集まって、私がお金を払ったからそこに入ることを許されただけです。

でもどこかで私は、彼らが実在していることを否定したかったのかも知れません。知りたくなかった。いつまでも違う世界の人でいてほしかった。

一方で、実在するアイドルを好きになった時点で、いずれは来るであろう「コンサートで拝む」というイベントがやって来ることを感じていましたし、それを心待ちにしている自分もいました。それも間違いない事実です。

結局のところ私は、自覚していたよりもずっと、コンサートに行くというイベントに対して大きな期待と、同じくらいの恐怖を抱えていたんだと思います。そしてその整理がつく前に(まあ多分、どれだけ整理しようとしても整理できるものじゃなかったのでしょうけれど)、あっさりその瞬間を迎えてしまった。煙の向こうに丸山くんは、関ジャニ∞は現れてしまった。

間違いなくあの光景を見た時は、関ジャニ∞のファンになってから、一度もないくらいに、絶頂の瞬間でした。そして同時に、私の中で関ジャニ∞のファンとしての第一章が終わって、新しいページが継ぎ足された瞬間でした。

この瞬間は、もうどう足掻いても二度と訪れません。あろうことかあの丸山くんが煙の向こうに実在していて、何度も何度もDVDで拝んだのと同じ声で、同じ顔で、歌い、踊っているのです。

その光景を見てしまったことが、悲しかった。こんなに楽しい気持ちはもう二度と訪れないのです。一生分の楽しいと嬉しいが、ほんの一瞬に訪れて終わってしまった。

私はもう、丸山くんが実在していることを知らない世界には戻れないのです。

 

私は、好きの気持ちには、深さや重さとはまた別に、鮮度があるとも思っています。 きっと人生で今にしか感じられない、イキイキとした好きの気持ちがあると思うのです。

丸山隆平さんへのラブレター - 旅の途中

 

前にも別の記事で言ったのですが、私は好きの気持ちには大きさだけではなく鮮度があると思っています。焼き魚を刺し身に戻すみたいに、鮮度をもとに戻すことなんて後からできることではありません。言うなればあの瞬間、間違いなく新鮮だった私という名の刺し身には火が入りました。塩で揉まれてこんがり焼き上がってしまいました。もうわさびの出番はありません、これからは隣に醤油と大根おろしが添えられるのです。

好きの気持ちの鮮度が落ちていくのは本当に悲しいことです。今までいくつもの何かを好きになって、そして鮮度を失ったそれに愛想を尽かしてきたからわかります。そのまだ見ぬ瞬間の恐怖と、それに一歩近付いてしまった事実の悲しさに涙が出ました。見なかったことにしたかった。それができないなら、そうなりかけてしまった時のために、この鮮度100%の好きの気持ちを、瓶に詰めて取っておきたい。

そんなことを考えて、泣きながら笑ってコンサートは終わりました。

この羅生門に出てくる老婆のうわ言みたいなツイートたちは、その日の帰りに泣きながら叩きつけたと思わしきものです。参考程度に載せておきます。

 

そして今、私は丸山くんが実在することを知っている世界を生きています。初日のコンサートが終わった後こそ絶望に駆られましたが、2回、3回と参戦して、ようやくそれを受け入れられるようになりました。

確かに私の中で、あの瞬間を境に第一章は終わりました。けれど第二章が待っていることに変わりはありません。刺し身はすっかり焼き上がってしまいましたが、もしかしたら刺し身だった頃には見えない景色があるかも知れないし、焼き魚がほぐされて釜飯に変わる日だって来るかも知れません。そもそも生魚が苦手な私は刺し身より焼き魚のほうが好きでした。…果たして私は何の話をしているんだ?

まあともかく、自分の中での第一章の終わりを受け入れて、このブログを書いています。終わりを受け入れてしまった今、この行為に意味なんて無いのかも知れませんが、多分、先述した通り、私はこの気持ちを取っておきたいんだと思います。このおたくライフが第何章まで続くのかはわからないけれど、いつか終章が見えてきた時に、もう一回この気持ちを思い出せるように。終章を書き終える時に、こんなこともあったな、メチャメチャ楽しかったな!って、本を閉じられるように。

 

めちゃくちゃ楽しいジャニオタライフなのに、それが終わる日のことばかり考えてしまいます。いつも私はそうです。楽しみにしていた映画だって始まる前の予告編が一番楽しいし、バンドのライブだって客電が落ちた瞬間が絶頂だって、自分に言い聞かせているみたいなところがあります。始まりは終わりの始まりでもありますから。

まあともかく今は、まだ見ぬ終わりの日を思って悲しくなるくらいには、丸山くんが、関ジャニ∞が好きなんだなって思わされずにはいられません。

 

物凄く回りくどい話になりましたが、要するに初めてのコンサート、楽しすぎて悲しくなるくらいに楽しんだんだよ!っていう報告です。もうそろそろ関ジャニ∞はいいかな~って言ってる(かも知れない)未来の自分に、「ちょっと待てよー!あんなに楽しかったの、忘れたのかー!?」って今の気持ちを届けられるように、ここに残しておこうと思った次第でありました。